成瀬雅春先生の「倍音声明」のワークショップに行ってみた。

http://yoga-art-m-studio.jimdo.com/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0-%E5%80%8D%E9%9F%B3/

成瀬雅春先生、と言えば2001年には全インド密教協会からヨーギラージ(ヨガ行者の王)の称号を授与され、著作も沢山出版されているヨガの大家中の大家。
詳しくはwikiなどでご自分であたってください。
(あ、「倍音」に関しても。私は頭悪いのでこれ、と選びきれなかった。)

最初に主催者のヨガインストラクター先生の指導のもと、体をほぐす。
軽く手足をストレッチくらいから小気味良いテンポでサクサク進み、最後は「太陽礼拝」四連発、というけっこうキツイもので終わる。
キツイと思うのは私がヨガを何年もやっていないからだろう、成瀬ヨガの会員の方々は楽々こなしていた。

間髪入れず成瀬先生の紹介、さっそく「倍音声明」のガイドが始まる。

ざっくり説明すると 母音とハミング をウ→オ→ア→エ→イ→nかmでハミング→ウ→、、、と皆で低い大きな声で繰り返し発声して、空間に「倍音」を作り出しながら瞑想するもの。
成瀬先生の鐘の合図で音を切り替え、さらに一斉に沈黙するタイミングも作る。

最初は皆で同じ音を出して暫く声を出すことに慣れ、次に最初の発声を先生の指示で違う母音から各々が始めて、MIXにする。

最初の一斉に同じ音を発声するタイブからでも笙の音の様な、高いフルートの音の様な、「倍音」が聴こえる。

MIXになると、さらに倍音は豊かになり、あちらこちらから渦を巻くようなワーン、ワーン、という唸りやグレゴリオ聖歌の歌声みたいな音、果ては般若真経の読経の様な音まで聴こえてくる。
ウオアエイの順番を間違わないように気を張るので、瞑想状態になれているのかは定かでないが、瞑想がノッてくると瞼の裏に見えてくる紫や緑の「丹光」は「乱舞」と言えるような状態で見えてくる。

チン・チーン!と先生が2つ鐘を鳴らして訪れる静寂、は 実は残念ながらあまり完璧な静寂ではなかった。
壁の時計のコチコチ刻む音、隣の人のお腹の音、外の自動車の音、、、しかしこれらの音を際立ってハッキリと聴いてしまっていたということは、今やった倍音ワークのために聴覚が鋭敏になっていたから、と、今まとめていて気が付いた。

そういった些細な音を耳は捉えながらも先程までの音のうねりの余韻が体の中をぐるぐる渦巻いていて、尾てい骨を中心に逆時計回りに下から上へ、体が軽く揺れるほどの「何か」の流れを感じたりした。

倍音ワークはさらに進み、声明をしながら順番に皆が作っている輪の中心に座るワークに。
倍音関係では大体みんなサークルに座るなり立つなりして声を出す。
真ん中、輪の中心、は倍音が最も良く聴こえる「特等席」。
台湾の布農族(ブヌンぞく)は祭りのための倍音の歌声をやはりサークルになって歌うが、真ん中は「神」に来てもらう場なので人を立たせない、という掟があるくらいだ。

しかーし。 この真ん中「神の座」体験は私は思ったよりピンと来なかったのだよ。
真ん中に入る順番を間違えないように、と気をとられてあまり声明に集中出来なかったり、4人一度に真ん中に入るため中心に位置出来なかったのか、あんまり輪の外側に居るのと音の感じも変わらなかった。(アタシが鈍いのかもしれないが。)

その後に最後にやった、立って輪になってゆっくり歩きながらの倍音ワークの方がリラックスして体に自分の声の響きも感じられて個人的には気に入った。
壁から天井から反響した色々な倍音が降ってくる中を歩いていると、なんだか満天の星の下を歩いているような気分がしてきた。

最後の最後に成瀬先生に倍音ワークについての質疑応答。
印象に残った質問としては、「なぜ(私には)教会の聖歌や般若真経が聴こえたりしたのでしょう」というもの。
お答: あなただけじゃなくてみんながそれぞれ色々な音を聞いたんですよ。
ウオアエイで作る倍音の中に、この世の全ての音が内包されている。
人間には、聞きたい音だけを選択して聴く能力がそなわっているため、全ての音の中から自分が気に入った音を拾う、ということです。
それにはその人の今までの人生とか、性向とかが関わっている。
とのこと。

たぶんね、質問者はもっとオカルトっぽく話をとらえたかったんだと思うんだけどアッサリ肉体的アプローチで切って捨てているところが好感持てました。

予定時間よりちょっと早く、10時前に終了。

私の感想としては「ボディワークとして、単純に面白かった」。
今回は倍音ワークの触りをさらっと撫でるように体験したにすぎないのだが、家に帰って寝るまで位は聴覚が鋭敏になってしまい、駅のホームや街の雑踏の雑音が頭の中で勝手にミックスされて倍音になって反響したり有らぬ音がうっすら聴こえたりもした。

成瀬先生は瞑想の大家なので、もっと瞑想的に深い体験ができるかと思ったけれど、「触り」だからかそこは食い足りなかった。
いつかぶつ切りでなく長い時間徹底して倍音声明をしてみる機会があればなあ、と思う。

とりあえずアマゾンで成瀬先生の本を2つポチッとな・したよ。(笑)



【付けたし】
私は歌う「倍音」のワークショップも行っているし、暇つぶしに「なんちゃってホーミー」もするし、毎日1時間瞑想もしている。
だから、「倍音」「瞑想」に対してある意味ちょっと慣れているので、驚きやの感動は薄いと思う。
それともまだまだ修行が足りないのでビビッドな体験ができなかったのかもしれません。
その辺は、だから個人差によるよ。