また上江洲義秀先生の勉強会に行ってきました。
今回のは始まり(開場)も1時間遅いし、お昼休憩もあるし、最初にお茶の水で参加したより少しゆるい。
とはいってもやっぱり10時ころから休憩しつつ16時まで明想・明想・光話・明想・質疑応答と盛りだくさんでした。
今回参加者が40人くらいと少なかったらしいので(お茶の水は70人以上来ていた)
開場と同時に受付した私のヒーリング順番はなんと16番。
最初の明想タイム中に順番が来る。
参加者が少ないので上江洲先生も一人一人のお話を聞く体制になってくださっているようで、ヒーリングの前にみんな何かしらお話をしている。
私の前の女の人は瞑想中に不思議体験をたくさんしたらしく、「それはいいんですね?」などと先生に確認を取っている。
おお~、みんなレベル高い~!(笑)←不真面目
私の順番が来て、この前言えなかった事から入ってみた。
「センセ~、私、「みつろう」さんと先生の対談を読んで、ここに来ました」。
上江洲先生がニッコリして、「ほう、初めて来たの?」「いえ、新宿で(本当はお茶の水でした)一度お会いしていて、2度目です」。
先生、さらにニッコリして「で、『さがしもの』はみつかりましたか?」。
私は思わず苦笑しちゃって、「いやぁ、全っ然!!」と即答してしまいましたよ。
「毎日明想をしていますけど、明想をすると嫌いな人のことばかり心に浮かんでしまって。」と最近の現状を離してみる。
U「それは『偽我』の分離意識で生きている限りは、そういうことは出てきてしまうよ」
U「で、どうしているの?」
T「それが、、、明想をしていたら結局勝手に相手が問題無いように変わるんです。だから、頭で考えてどうこうするより、明想する方が速いみたいで。」
U「・・・それは、いい『作業』をしている。そのままでいい。」
T「で、嫌いな人が変わると、また次に嫌いな人を一生懸命探してくるんです。自分はこんなに人を嫌いになるのが好きなのか、と呆れました」
U「『偽我』の意識がある限り、それはなかなかなくならないねぇ。明想をとにかく続けてみてください。」
・・・・・なんか近所の優しいおじちゃんが実は瞑想の大家で、そこのお家の縁側でお話をしているみたいだったよ。
今日のヒーリングは終始こういう感じで、全員とすこしづつお話をされているようでした。
まぁ、自分の方向としては間違ってないか、と思いつつ全員明想タイム。
午前の明想説明の時に中村寿子先生が、明想中の雑念に対する対処の中で
「雑念が湧いたらそれと戦わないで、白い光(アジナチャクラから白い光を出す作業を繰り返すのが「法玉明想」)に集中してください」ということに続けて
「人間関係でなにか問題を抱えている方は、ご自分の光でその方を包んでください。
沢山の方がこれをやってその後関係が改善したということなので、やってみてください」
とおっしゃった。
はっ。
ああ、やっぱりそういうことか、と納得した。
このところ明想をするともう全然行かなくなっちゃった趣味の三線の会を牛耳っている聞こえよがしに人の悪口を言う意地悪な女の人や、何となくさけられてる気がする友人や、最近全然かかわりがない人のことまで「嫌だなぁ」という感じで思い出しては味わってしまう。
直接最近会わないのに何という執念深さだろう、なんと自分は人を嫌う事に楽しみを持ってしまうのだろう、と呆れていたんだけど。
このところこの問題で1つ考えていたのは、
明想を始めて、自分の「普通の精神状態」の質、グレード、波動がたぶんちょっとは良くなっている。
だから、前は「人が嫌い」とかそういうちょっと負の領域の部分も「普通」と仲良く点在できたんだけど、ここにきてぶわっと滓が浮き上がるみたいに出てきた。
絵や作品を1か所作りこむと他とのバランスが狂って他の部分も同じように質を上げなきゃならなくなるようなもんで。
それに加えて、今日寿子先生がおっしゃっていた対処法を聞くと。
それらの「嫌い」は明想中の光でくるんでもらいたくて張り切って出てきているのかも、と 思いついた。
光でくるんで、終わらせてもらいたくて、出てくるのかも。
ってか、「かも」じゃなくて多分、そうなんだ、と思う。
ってことで、今日は明想中に嫌いな人や嫌な思い出が浮かんだら、積極的に「白い光」でくるんでみた。
沢山の人と一緒にする明想は自分1人で家でやるのと違って、やっぱり質が良いというか、自分も家でやるよりピュアな感じになれる。
そのためか、嫌な人もうっすらとしか浮かばないのでそういう作業は無理なくできた。
私なんか明想してないとただ暴飲暴食して感情のままに生きるダメな大人なわけです。
しかし、明想、特にみんなで勉強会なんかでする明想の間「だけ」は、少しはピースフルでまともなわけだよ。
そういう場は今のところ1月に1度くらいしか巡り合えないので、そういう場にいられるときだけは、せめて積極的にそういう作業をしよう・と思った。
たぶん悪くは働かないと思うんだ。
【追記】
そして今朝の明想では、見事なまでに「嫌いな人」のことは浮かばなくなりました。
上江洲先生のヒーリングがよかったのか、白い光で包むテクニックが良かったのか、その両方なのかはわからないけど。
人を嫌うのは気持ちが良くない感情なので乗り越えられて良かった。
小さい子供みたいな事を書いていますが、この1週間くらいは「嫌いな人探し」をタップリして疲れたし自分に失望もしたからね。
今日の明想ではフラッシュみたいに色々な意味のない風景が浮かんでは消えました。
たくさん日用品がならんでる小さなキッチンとか、ゴミに埋まった冷蔵庫とか、左に林のある明るい山道とか。
なんだかまるで記憶にない風景。
嫌いな人の顔よりずーっといいですが。
今回のは始まり(開場)も1時間遅いし、お昼休憩もあるし、最初にお茶の水で参加したより少しゆるい。
とはいってもやっぱり10時ころから休憩しつつ16時まで明想・明想・光話・明想・質疑応答と盛りだくさんでした。
今回参加者が40人くらいと少なかったらしいので(お茶の水は70人以上来ていた)
開場と同時に受付した私のヒーリング順番はなんと16番。
最初の明想タイム中に順番が来る。
参加者が少ないので上江洲先生も一人一人のお話を聞く体制になってくださっているようで、ヒーリングの前にみんな何かしらお話をしている。
私の前の女の人は瞑想中に不思議体験をたくさんしたらしく、「それはいいんですね?」などと先生に確認を取っている。
おお~、みんなレベル高い~!(笑)←不真面目
私の順番が来て、この前言えなかった事から入ってみた。
「センセ~、私、「みつろう」さんと先生の対談を読んで、ここに来ました」。
上江洲先生がニッコリして、「ほう、初めて来たの?」「いえ、新宿で(本当はお茶の水でした)一度お会いしていて、2度目です」。
先生、さらにニッコリして「で、『さがしもの』はみつかりましたか?」。
私は思わず苦笑しちゃって、「いやぁ、全っ然!!」と即答してしまいましたよ。
「毎日明想をしていますけど、明想をすると嫌いな人のことばかり心に浮かんでしまって。」と最近の現状を離してみる。
U「それは『偽我』の分離意識で生きている限りは、そういうことは出てきてしまうよ」
U「で、どうしているの?」
T「それが、、、明想をしていたら結局勝手に相手が問題無いように変わるんです。だから、頭で考えてどうこうするより、明想する方が速いみたいで。」
U「・・・それは、いい『作業』をしている。そのままでいい。」
T「で、嫌いな人が変わると、また次に嫌いな人を一生懸命探してくるんです。自分はこんなに人を嫌いになるのが好きなのか、と呆れました」
U「『偽我』の意識がある限り、それはなかなかなくならないねぇ。明想をとにかく続けてみてください。」
・・・・・なんか近所の優しいおじちゃんが実は瞑想の大家で、そこのお家の縁側でお話をしているみたいだったよ。
今日のヒーリングは終始こういう感じで、全員とすこしづつお話をされているようでした。
まぁ、自分の方向としては間違ってないか、と思いつつ全員明想タイム。
午前の明想説明の時に中村寿子先生が、明想中の雑念に対する対処の中で
「雑念が湧いたらそれと戦わないで、白い光(アジナチャクラから白い光を出す作業を繰り返すのが「法玉明想」)に集中してください」ということに続けて
「人間関係でなにか問題を抱えている方は、ご自分の光でその方を包んでください。
沢山の方がこれをやってその後関係が改善したということなので、やってみてください」
とおっしゃった。
はっ。
ああ、やっぱりそういうことか、と納得した。
このところ明想をするともう全然行かなくなっちゃった趣味の三線の会を牛耳っている聞こえよがしに人の悪口を言う意地悪な女の人や、何となくさけられてる気がする友人や、最近全然かかわりがない人のことまで「嫌だなぁ」という感じで思い出しては味わってしまう。
直接最近会わないのに何という執念深さだろう、なんと自分は人を嫌う事に楽しみを持ってしまうのだろう、と呆れていたんだけど。
このところこの問題で1つ考えていたのは、
明想を始めて、自分の「普通の精神状態」の質、グレード、波動がたぶんちょっとは良くなっている。
だから、前は「人が嫌い」とかそういうちょっと負の領域の部分も「普通」と仲良く点在できたんだけど、ここにきてぶわっと滓が浮き上がるみたいに出てきた。
絵や作品を1か所作りこむと他とのバランスが狂って他の部分も同じように質を上げなきゃならなくなるようなもんで。
それに加えて、今日寿子先生がおっしゃっていた対処法を聞くと。
それらの「嫌い」は明想中の光でくるんでもらいたくて張り切って出てきているのかも、と 思いついた。
光でくるんで、終わらせてもらいたくて、出てくるのかも。
ってか、「かも」じゃなくて多分、そうなんだ、と思う。
ってことで、今日は明想中に嫌いな人や嫌な思い出が浮かんだら、積極的に「白い光」でくるんでみた。
沢山の人と一緒にする明想は自分1人で家でやるのと違って、やっぱり質が良いというか、自分も家でやるよりピュアな感じになれる。
そのためか、嫌な人もうっすらとしか浮かばないのでそういう作業は無理なくできた。
私なんか明想してないとただ暴飲暴食して感情のままに生きるダメな大人なわけです。
しかし、明想、特にみんなで勉強会なんかでする明想の間「だけ」は、少しはピースフルでまともなわけだよ。
そういう場は今のところ1月に1度くらいしか巡り合えないので、そういう場にいられるときだけは、せめて積極的にそういう作業をしよう・と思った。
たぶん悪くは働かないと思うんだ。
【追記】
そして今朝の明想では、見事なまでに「嫌いな人」のことは浮かばなくなりました。
上江洲先生のヒーリングがよかったのか、白い光で包むテクニックが良かったのか、その両方なのかはわからないけど。
人を嫌うのは気持ちが良くない感情なので乗り越えられて良かった。
小さい子供みたいな事を書いていますが、この1週間くらいは「嫌いな人探し」をタップリして疲れたし自分に失望もしたからね。
今日の明想ではフラッシュみたいに色々な意味のない風景が浮かんでは消えました。
たくさん日用品がならんでる小さなキッチンとか、ゴミに埋まった冷蔵庫とか、左に林のある明るい山道とか。
なんだかまるで記憶にない風景。
嫌いな人の顔よりずーっといいですが。