愛読している着物関係ブログの
「小庵 着らく 着物の着方『着物は着良く、無駄なく、清潔に』」
http://blogs.dion.ne.jp/gonhanaten160/
の主さん「師匠」さんが言うように、あと10年で中古の「普段着物」の流通は終わる、って説は正しい。
私の母75才がギリギリ普段にも着物を着た世代だ。
その母だって私が子供だった昭和40年代一杯くらいまでしか着物を普段着にしていなかった。
後はしまいこんで、私が着物に興味を持ち始めたら対抗するように着付け教室に行き、免状を取って着付け講師になり、「着物なんかやたらと着るもんじゃないのよ!!」というガチガチの着付け講師ババァになった。
それでも、タンスの奥には母が若かったころの綿やウールの着物がまだ眠っている。
母たちの年代が、普段着に着物を作った最後の世代だ。
後の世代は「晴れ着」しか作ったことがなく、着せてもらわないと着物が着られない世代だ。
今のうちに「お召」とか「小紋」とか「紬」とか「ウール」とか、晴れ着でない中古着物を集めておかないと、あと10年で中古市場にも出回らなくなる。
そしてそのころ、安価に普段の着物を作ることは産地と業界が疲弊していてできなくなるだろう。
今、目眩がするほど中古の着物が安いのは、受け継ぐ人がいないお祖母ちゃんの着物が、持ち主が亡くなって中古市場に出回っているから。
母の世代までなら「丈を直して着ようかしら」とギリギリ思えるだろうが、今80代の母親や義母を看取った人達ー60代から50代??には 古い着物なんてただ手におえなくて面倒なだけだ。
その世代から下は浴衣1つ縫ったこともなく(私も含めて)着物のサイズを直すのにプロの手を借りなければならず、そんなお金と情熱を古い着物に費やせない。
最近ネットの宣伝にやたらと出ている「山徳」に電話して厄介払いするか、酷い人は捨ててしまう。
(「山徳」はネットオークションの「着物10」の親会社みたいね。まぁ「着物10」には私もお世話になっています。)
私は山梨にいるときは毎日着物だから、すでに着物のが洋服より楽だ。
着物が苦しい、というのは戦後の着付け教室の陰謀。
先日贈呈式でフォーマルな絹の着物を着たけれど、スルスルして着にくいものだな、と着物慣れしている私だって思った。
あんな宮中の人達の恰好と着こなしを「着物」と押し付けられたら、着物が遠くなるの当たり前だ。
間違った着物文化の遠因は敗戦。
あれで戦前の生活とともにあった着物文化が途切れたところに、髪結いさんの「着付け」を一般の人が着物を着ることに注入して着物に権威付けして、着物を特別なもの、「お着物」にしやがった。
私がいきなり着物リメイクなんか始めたのは、「まさか着物で仕事にいけないよな」という遠慮からだ。
周囲がドン引きしなければ教室にだってウールの着物で行ってキビキビ働けるのに。
着物が「お着物」にされちまったのが全て間違いの始まり。
「着らく」の師匠が言うように、本当は着物は切り刻むなんて可哀相だ。
着物は着物の形で着るのが一番きれいだ。
本当は着物で仕事に行けたら私だって楽だ。
ウールや綿の着物で仕事に行ってもドン引きされないような世の中が欲しいもんだ。
な~んてことを着物でリメイクものを作っていると考えちゃうです。
「小庵 着らく 着物の着方『着物は着良く、無駄なく、清潔に』」
http://blogs.dion.ne.jp/gonhanaten160/
の主さん「師匠」さんが言うように、あと10年で中古の「普段着物」の流通は終わる、って説は正しい。
私の母75才がギリギリ普段にも着物を着た世代だ。
その母だって私が子供だった昭和40年代一杯くらいまでしか着物を普段着にしていなかった。
後はしまいこんで、私が着物に興味を持ち始めたら対抗するように着付け教室に行き、免状を取って着付け講師になり、「着物なんかやたらと着るもんじゃないのよ!!」というガチガチの着付け講師ババァになった。
それでも、タンスの奥には母が若かったころの綿やウールの着物がまだ眠っている。
母たちの年代が、普段着に着物を作った最後の世代だ。
後の世代は「晴れ着」しか作ったことがなく、着せてもらわないと着物が着られない世代だ。
今のうちに「お召」とか「小紋」とか「紬」とか「ウール」とか、晴れ着でない中古着物を集めておかないと、あと10年で中古市場にも出回らなくなる。
そしてそのころ、安価に普段の着物を作ることは産地と業界が疲弊していてできなくなるだろう。
今、目眩がするほど中古の着物が安いのは、受け継ぐ人がいないお祖母ちゃんの着物が、持ち主が亡くなって中古市場に出回っているから。
母の世代までなら「丈を直して着ようかしら」とギリギリ思えるだろうが、今80代の母親や義母を看取った人達ー60代から50代??には 古い着物なんてただ手におえなくて面倒なだけだ。
その世代から下は浴衣1つ縫ったこともなく(私も含めて)着物のサイズを直すのにプロの手を借りなければならず、そんなお金と情熱を古い着物に費やせない。
最近ネットの宣伝にやたらと出ている「山徳」に電話して厄介払いするか、酷い人は捨ててしまう。
(「山徳」はネットオークションの「着物10」の親会社みたいね。まぁ「着物10」には私もお世話になっています。)
私は山梨にいるときは毎日着物だから、すでに着物のが洋服より楽だ。
着物が苦しい、というのは戦後の着付け教室の陰謀。
先日贈呈式でフォーマルな絹の着物を着たけれど、スルスルして着にくいものだな、と着物慣れしている私だって思った。
あんな宮中の人達の恰好と着こなしを「着物」と押し付けられたら、着物が遠くなるの当たり前だ。
間違った着物文化の遠因は敗戦。
あれで戦前の生活とともにあった着物文化が途切れたところに、髪結いさんの「着付け」を一般の人が着物を着ることに注入して着物に権威付けして、着物を特別なもの、「お着物」にしやがった。
私がいきなり着物リメイクなんか始めたのは、「まさか着物で仕事にいけないよな」という遠慮からだ。
周囲がドン引きしなければ教室にだってウールの着物で行ってキビキビ働けるのに。
着物が「お着物」にされちまったのが全て間違いの始まり。
「着らく」の師匠が言うように、本当は着物は切り刻むなんて可哀相だ。
着物は着物の形で着るのが一番きれいだ。
本当は着物で仕事に行けたら私だって楽だ。
ウールや綿の着物で仕事に行ってもドン引きされないような世の中が欲しいもんだ。
な~んてことを着物でリメイクものを作っていると考えちゃうです。