昨日の晩は職場のオジサマ3人とほぼ接待呑みみたいな状況。
こういう「呑み」って何のためにあるのかわからないが・まぁオジサンの1人が82歳の陶芸教室の生徒さんだから、赦す。

今朝は3時45分位に目が覚めてチェックしたお友達のブログから、ひっそり私も応援していた「病活プランナー相川ラズ」さんの訃報を知り、色々言葉に出来ない思いを持ったら寝落ちして・追悼の会のドレスコードが浴衣だ、とか馬鹿な夢を見て寝過ごした。
で・今日の修行活動は朝5時45分から1時間の明想だけになりました。

どうもやりつけないことを始めたからか、疲れてしょうがない。
昨日今日、今シーズン初くらいに寒くて寒くて堪らないし、一刻も早く寝たいほどいつも疲れている。

明想って、やっぱ体力消耗するみたい。

う~ん、前に馴染んでいた瞑想は、呼吸や丹田や各々のチャクラに意識を向けていたけれど、いまやっている「法玉明想」は常にアジナチャクラに意識を向けているように、だからか
頭にエネルギーが行ってしまって体が手薄になるような。

今日なんか帰ってきて中央線から降りたら左の股関節が痛くてうまく歩けなくて
しょうがないからタクシーで山梨の家の橋のたもとまで来て、
公道から橋の段差が暗くて見えなくて、
50cmくらい踏み外して盛大にダイブして転んだ。

本当に綺麗に踏み外して飛んで落ちたので、あまりダメージはなく、左の膝を強く打ったくらいで買ってきたワインの瓶も幸い無事だった。(そこかよ!)
どんよりと適当な(でも美味しい)夕飯を作って、身を挺して守ったワインを呑んでいます。

先週も「先週の自分なんて前世くらい遠い」と思ったけど、今日も昨日の自分が2年前くらい遠い。
その感覚は悪くないけれど、社交辞令的な付き合いに対してどんどん反応は鈍くなったりしていく。
それが実生活でどう影響があるかは知らない。
気が向かない時は向かないので、悪いけれどしょうがない。

疲れて疲れてたまらないので、言動が気をつけないと乱雑になる。
。。。。それってなんか「神」から遠い行動に一歩下がってるような気がする。
日々の生活や言動に心を込めることの方がよっぽど修行だよね。
いいのか、俺?

よくわからんが、疲れたら寝るしかないので寝ます。
頭悪いのに急に頭の上の方に意識を置いたから色々調子が狂うんだ。