まとめです。

〇1時間×4回、それに先生の光話1時間、休憩もほとんど座っていたので9時半から4時まで座りっぱなしで、体がガタガタになりました。
明想の会の後、友人のグループ展に行ったんだけど、ギャラリー内が靴を脱いではいる場所だったので思わず自力整体してしまいました。
次の日も体ガタガタ。
明想・座禅、って確かに修行なんだわ、こりゃ。
走りこんでストレッチして強靭な肉体を作りこんで「次回」に臨もう、と思いました。


〇明想を大事にしている会だけあって、明想の細かい説明がとてもわかり易くて良かったです。
皆で明想していることで起こる(らしい)グルーブ感みたいなものはあったんだろうけど、非常に穏やかで静かな波動だったと思うので、よく人々が口にするスピ系イベントの高揚感・陶酔感・一体感みたいなもんは全くない。
そこが逆に良い感じだった。

〇明想タイムの前後の中村寿子先生のお話が印象的でした。

「これからは『先生の良いお話を聞いて良かった』『良い本を読んで良かった』ではなく、ご自身が『神』と一体になってください。
ひとりひとりが神であることを思い出してください。
それが出来る、時代なのです。」

「いつも神の意識を持つために、明想をしてください。簡単なことではありませんが、必ず私たちは自分が神だと思い出せます」

「(神の意識につながるために)座って明想するだけでなく、日々常に眉間の間に意識をおいて、自分の内側に意識を向けていてください。
そういうと、『それだけですか?』とおっしゃる方がありますが、やってみてください、そんなに簡単なことではありません。」

「ここに導かれてやって来たからには、必ず自分は神の意識につながれる、繋がるのだ、と決意して下さい。あきらめないで、根気よく明想を続けて下さい」

「明想をしていて、今まで感じたような感覚が訪れても、怖がらないで明想を続けてください。それは次の意識の扉を垣間見ていて、必ず私たちはそこからここに戻ってこられます。
怖がってそのポイントで明想を止めないでください」

「中には神の視点を感じる人、自分を喪失して真我を垣間見る人もいます。ですが、「垣間見る」だけでまたすぐに戻ってきてしまいます。ずっとその場にとどまることは難しいのです。
しかし、何度も訪れるうちに必ずそこに長くとどまれるようになります」

等々。
簡単に悟れるとは絶対に言わないところが真実味があって逆に心に訴えるものがありました。

〇まとめのまとめ。

で、その後「明想」を1人で出来ているかというと、あんまりできていない。(笑)
やっぱり走るほうが雑念がわかないし。
でも、とりあえず眉間に意識を向けるというのは日常生活でもできる事なので、意識はしてみている。

ヒーリングでな~んにも感じなかった私ですが。
でも、あの会に行った直後から、世界がますます私に親切になった気は、する。
リアルの友達の呑み会で、前よりスピな活動や意見を言っても「おもしろいね」と好感を持って受け取られえるようになり・
陶芸教室の生徒さん達が勝手にますます協力的になり・
母が前だったら一方的に怒っただろうな、ということをマイルドに表現するようになって、理不尽に怒られて嫌な思いをしたりすることが少なくなった。

なんか、世界がまた変わったわけです。

で、自分は2月10日という2013年の本当の元日にああいった会に本能に引きずられるようにして行ったということは、多分ここにしっかり向き合わないと次に進めないだろうな、と思うのです。
全部捨てて修行の旅に出るとか、そういうことじゃなく。
でも、今のままでタイムリミットがあるから、焦りからやみくもに作品を作っても

ま っ た く し ょ う が な い 。

どうなるかわからないけど、制作からの逃げではなく、今は自分がもっと「わかる」ことが必要で。
しかし制作のために「見性」したい、ってのも違うような気がする。
むしろ作っている中にこそ、その糸口があるという気もして。
(しかし作ろうという気になれない、、、)

ま・簡単に答えの出る話じゃないけど 次の個展が6月なんだよね・・・・・。

と・ぼやいて終わります。