そろそろ前振りばっかりしていた渋谷Bunkamuraの「白隠」展について書くかな。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html
詳細は↑を見てください。
江戸時代の超有名宗教家白隠禅師っていえば、「白隠和尚座禅和讃」の人で「ナンソの法」の人で
アメブロ仲間うちでは「ほう、そうか」のオジサンで、なんだけど。
美術目線で見た場合迫力はあるけどへたっぴ~な奇妙な絵、「奇想の図譜」の辻惟雄好みの絵師っていう括りで。
今回まとめて白隠の初期から晩年までの絵と書を見てきて、やっぱりその認識は変わらなかったです。
「絵」という表面を見ればやっぱり拙い。やっぱり坊さんの余技。
世が世ならかなり売れっ子のグラフィックデザイナーになれただろうな・という構図の切り方や単純でインパクトのある構成力の才能は持っています。
でも、絵画にしても書にしても技巧を超えた凄い「パワー」がある。
普通美術業界で絵に「パワー」などという場合、構図による目のショックや主題をいかに意表を突いた形で持ってくるかという観客の常識の裏をかくとか、そういう分析可能な話なんだけど、
白隠の絵や書の場合、たぶんそれは描いている(書いている)白隠本人の持っている 気合い によるもの、としか説明できない。
優れた絵画を見ると、心がすーっと晴れたり足元がクラクラしたり細胞全体がぐわ~ってしたり、美味しいお酒を呑んだみたいにポーッとしたり、まぁいろいろ感じるのですが、白隠展ではこういう「目からの感動」は来なかった。
そのかわり、何枚かの絵と書から、神社やパワースポットで感じるような強烈なあったか~いエネルギーが出ていました。
あの、氷川女體神社の竜神様のお社で感じたみたいな、遠赤外線ヒーターがガーンとついているみたいな、あのあったかさ。
美術展でそんなもん感じたのは初めてだよ。
仏像や仏教美術の展示でも感じたことないよ。
私が特に感じたのは関羽かなんか・古代中国の貴人を書いた絵、か、もしくはその反対側に会った布袋さんがお福さんを吐きだしている絵。
とにかくそこらへんが凄いあったかくて動けなくなった。
「寿」の字を船に見立てた宝船の絵と、火伏の鬼を描いた絵も、凄いパワーがあった。
でも一番パワーが出ていたのは書の中の「南無不可思議光如来」と大書されたお軸。
背を向けていても物凄くあったかいものが出ていて、なんだなんだ、と導かれていったらそこにそのお軸があった。
絵も(前からこのブログで言及したように)禅画の画題っていうのがけっこう笑えるようなものが多いので、デッサン力がない白隠には「汚なカッコいい」感じを出すのに合っていただろうから、他の坊さんや文人画の絵より抜群に良い。(それとも私がそういうものを味わえるようになっただけなんだろうか?)
絵もいいけど、白隠の本質はやっぱり坊さんで、だからかやっぱり絵より書のがパワーがあった。
でも絵画や書そのものから変な(?)パワーが出ているのに気が付いた体験なんて白隠が初めて。
その後行った「エル・グレコ」展も気合いが入った展示だったけど、「ビジュアルから来る知的な感動」であって妙なあったかパワーなんかは感じられなかった。
つまり、「白隠」展は「美術」展にあらず。
お気に入りの神社に詣でるような感覚で、また行きたいと思ってしまうー「御開帳」とでも言うんだろうか。
スピな貴方はお時間を作って観覧されることをお勧めします。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html
詳細は↑を見てください。
江戸時代の超有名宗教家白隠禅師っていえば、「白隠和尚座禅和讃」の人で「ナンソの法」の人で
アメブロ仲間うちでは「ほう、そうか」のオジサンで、なんだけど。
美術目線で見た場合迫力はあるけどへたっぴ~な奇妙な絵、「奇想の図譜」の辻惟雄好みの絵師っていう括りで。
今回まとめて白隠の初期から晩年までの絵と書を見てきて、やっぱりその認識は変わらなかったです。
「絵」という表面を見ればやっぱり拙い。やっぱり坊さんの余技。
世が世ならかなり売れっ子のグラフィックデザイナーになれただろうな・という構図の切り方や単純でインパクトのある構成力の才能は持っています。
でも、絵画にしても書にしても技巧を超えた凄い「パワー」がある。
普通美術業界で絵に「パワー」などという場合、構図による目のショックや主題をいかに意表を突いた形で持ってくるかという観客の常識の裏をかくとか、そういう分析可能な話なんだけど、
白隠の絵や書の場合、たぶんそれは描いている(書いている)白隠本人の持っている 気合い によるもの、としか説明できない。
優れた絵画を見ると、心がすーっと晴れたり足元がクラクラしたり細胞全体がぐわ~ってしたり、美味しいお酒を呑んだみたいにポーッとしたり、まぁいろいろ感じるのですが、白隠展ではこういう「目からの感動」は来なかった。
そのかわり、何枚かの絵と書から、神社やパワースポットで感じるような強烈なあったか~いエネルギーが出ていました。
あの、氷川女體神社の竜神様のお社で感じたみたいな、遠赤外線ヒーターがガーンとついているみたいな、あのあったかさ。
美術展でそんなもん感じたのは初めてだよ。
仏像や仏教美術の展示でも感じたことないよ。
私が特に感じたのは関羽かなんか・古代中国の貴人を書いた絵、か、もしくはその反対側に会った布袋さんがお福さんを吐きだしている絵。
とにかくそこらへんが凄いあったかくて動けなくなった。
「寿」の字を船に見立てた宝船の絵と、火伏の鬼を描いた絵も、凄いパワーがあった。
でも一番パワーが出ていたのは書の中の「南無不可思議光如来」と大書されたお軸。
背を向けていても物凄くあったかいものが出ていて、なんだなんだ、と導かれていったらそこにそのお軸があった。
絵も(前からこのブログで言及したように)禅画の画題っていうのがけっこう笑えるようなものが多いので、デッサン力がない白隠には「汚なカッコいい」感じを出すのに合っていただろうから、他の坊さんや文人画の絵より抜群に良い。(それとも私がそういうものを味わえるようになっただけなんだろうか?)
絵もいいけど、白隠の本質はやっぱり坊さんで、だからかやっぱり絵より書のがパワーがあった。
でも絵画や書そのものから変な(?)パワーが出ているのに気が付いた体験なんて白隠が初めて。
その後行った「エル・グレコ」展も気合いが入った展示だったけど、「ビジュアルから来る知的な感動」であって妙なあったかパワーなんかは感じられなかった。
つまり、「白隠」展は「美術」展にあらず。
お気に入りの神社に詣でるような感覚で、また行きたいと思ってしまうー「御開帳」とでも言うんだろうか。
スピな貴方はお時間を作って観覧されることをお勧めします。