白隠展について書く、書くとひっぱっていて、気が付いたら今日は節分。
私は今は山梨で独り、節分に関しては穴八幡神宮のお札を深夜零時に張りなおすくらいしかイベントはしない。

節分と言えば、たこ家は節分の豆まきで「鬼は外」を言わない。
80~75年くらいは言っていないはずである。

亡き父が幼児の頃、しょう紅熱だか麻疹だか流感だか、とにかく重い流行り病に罹って命が危なかったことがあった。
その時、祖母は雑司ケ谷の鬼子母神神社にお詣りをして、無事に幼かった父は回復することが出来たのです。
鬼子母神様は元々は子沢山なくせに人の子供を取って喰うという鬼女で、お釈迦様に末の息子を隠されて「子供を失う悲しみ」について教えられ回心して安産と子安の神様となった、というお方。
元だけど、「鬼」。
たこ家は鬼に恩があるんである。

色々な意味でなんか、イイ話なんだ。

節分になるとこの話をいつも思い出すわけですが、父の命日も節分前夜祭の2月2日。
今日は父の17回忌で、お寺で小規模に法事を行いました。

あ~、雑司ケ谷の鬼子母神なんて、何十年も行っていないな。
雑司ケ谷鬼子母神はすすきのミミズクと境内に江戸時代からある駄菓子屋と大イチョウと裏の杉並木が有名だったのよね。
こんなに神社が好きになったんだから、今度父の件のお礼を兼ねてお参りに行こうか。


【追記】

それにしてもいったい誰が「うちは『鬼は外』やめよう」って発案したのかな。
お詣りしたおばあちゃんなのか、お礼参りして鬼子母神の神主さんから聞いたのか、おじいちゃんや近所や親戚なんかと話していて誰かの意見なのか。

なんにしても「うちは鬼子母神さんに恩があるから『鬼は外』言いません」って決めた姿勢が、昔ながらの日本人の心のあり方らしくてイイんだ。
見えないものにも(見えないものにこそ)見えているもの以上に敬意をはらうその心のあり方。

なんか「日本昔ばなし」の世界みたいだけどさ、私の「父」にまつわる話、一代前の話なんだよね。