禅画の画題って美術的には????なものが多いじゃないですか。
有名な画題の「寒山・拾得」だってジジイだか子供だかわかんないボロをきた2人がニタニタしている絵だし、
禅師が免許皆伝してお師匠さんからもらう肖像画はジジイの坊さんが椅子に座ってるだけだし、
達磨は目を剥いてこっち見てるだけだし。ツマラン。
美術的にはどうよ?と思うと全然味わえなかったわけですよ。
白隠だって「ああ、あのしりあがり寿みたいな絵のひと」だしね。(笑)
しか~し!最近急に「わかる」ようになってきた。
この味わい方がいいのかどうかわからないけど、意図するところが肚で解った気がしてきた。
そのきっかけは、去年の9月くらいに一時期やっていた「笑いの瞑想」です。
朝起きたら、とにかく無理矢理爆笑する。
おかしくなくても(おかしくない、普通は)なんでも無理くり、笑う。
笑っているうちに馬鹿馬鹿しくなって、本当に笑って来てしまう。
笑えたら、笑うのを止めて、笑いの止んだ沈黙に身を任せる。
最近アンチの多いらしい(笑)「いまここ」の阿部敏郎さんのメソッド。
これが馬鹿馬鹿しいけどやってみると凄い「抜け」感で、一瞬かもしれないけど次元のセル画がぴょ~ん、と簡単に上に移行する感じで。
笑うって、すごい事だと思った。
昔の時代劇の禅僧とか仙人がいきなりゲラゲラ笑ったりするのが、なんでだかすごく腑に落ちました。
「笑い」で超えるんだと思う。
そんな気持ちを体感して禅画を見ると、これは笑ってもらいたいのね、っていう絵もあるし
何で綺麗にまとめてないのか、というのも解る。
禅画の良さが解んない、という方は「笑いの瞑想」をしばらくやってから見るとわかるかもしれないよ。
【追記】
眠いし寒いしで舌足らずになったから補足。
「笑いの瞑想」をした後の沈黙の豊かさ、ってのが非常に深くて豊かなんです、とにかく。
で、禅画ってのは
幽霊になった達磨大師が靴を片方だけ持っている、とか
乞食に混じって修行してたのに好物の白瓜につられて身元がバレる大燈国師とか、
けっこう笑いたくなる画題なんだよ。
で、前は笑って良いのか考えちゃったけど、
笑っていいの、あれは。
たぶん笑いの先のあの豊かな沈黙の領域まで感じさせるのが、狙いなの。
有名な画題の「寒山・拾得」だってジジイだか子供だかわかんないボロをきた2人がニタニタしている絵だし、
禅師が免許皆伝してお師匠さんからもらう肖像画はジジイの坊さんが椅子に座ってるだけだし、
達磨は目を剥いてこっち見てるだけだし。ツマラン。
美術的にはどうよ?と思うと全然味わえなかったわけですよ。
白隠だって「ああ、あのしりあがり寿みたいな絵のひと」だしね。(笑)
しか~し!最近急に「わかる」ようになってきた。
この味わい方がいいのかどうかわからないけど、意図するところが肚で解った気がしてきた。
そのきっかけは、去年の9月くらいに一時期やっていた「笑いの瞑想」です。
朝起きたら、とにかく無理矢理爆笑する。
おかしくなくても(おかしくない、普通は)なんでも無理くり、笑う。
笑っているうちに馬鹿馬鹿しくなって、本当に笑って来てしまう。
笑えたら、笑うのを止めて、笑いの止んだ沈黙に身を任せる。
最近アンチの多いらしい(笑)「いまここ」の阿部敏郎さんのメソッド。
これが馬鹿馬鹿しいけどやってみると凄い「抜け」感で、一瞬かもしれないけど次元のセル画がぴょ~ん、と簡単に上に移行する感じで。
笑うって、すごい事だと思った。
昔の時代劇の禅僧とか仙人がいきなりゲラゲラ笑ったりするのが、なんでだかすごく腑に落ちました。
「笑い」で超えるんだと思う。
そんな気持ちを体感して禅画を見ると、これは笑ってもらいたいのね、っていう絵もあるし
何で綺麗にまとめてないのか、というのも解る。
禅画の良さが解んない、という方は「笑いの瞑想」をしばらくやってから見るとわかるかもしれないよ。
【追記】
眠いし寒いしで舌足らずになったから補足。
「笑いの瞑想」をした後の沈黙の豊かさ、ってのが非常に深くて豊かなんです、とにかく。
で、禅画ってのは
幽霊になった達磨大師が靴を片方だけ持っている、とか
乞食に混じって修行してたのに好物の白瓜につられて身元がバレる大燈国師とか、
けっこう笑いたくなる画題なんだよ。
で、前は笑って良いのか考えちゃったけど、
笑っていいの、あれは。
たぶん笑いの先のあの豊かな沈黙の領域まで感じさせるのが、狙いなの。