今日のNHK・ETV「日本人は何を考えていたか」は平塚らいてう&市川房江。

ナビゲーター田中優子のお祖母さんがその思想に影響を受けていた話を聞いて、やはり職業婦人で家事が嫌いだったらしい父方の祖母を思い出す。
祖母の嫁たる我が母は祖母をあまり良くいわないけれど、祖母の心の背景を思うとただの家事嫌いの女じゃなかったんだろう、と思う。

(母は祖母は家事よりお出かけが好きだったこと、職業婦人でうちのことを全然しないので祖父が時々自炊をしていたこと、自分の判断で良ければよい、という人だったので「変なカッコ」でも平気だった、ということを時として非常に憎々しげに言う。
祖母は地味な色なもの(黒や茶)なら年配向けだという判断で、しかも大正ロマンを浴びるように育った人だから、今思い出せばゴスロリみたいなレースにパフスリーブのワンピース、まとめ髪には黒レースのおリボン、なんて恰好をしていたことがあった。
私はそういう祖母の感覚は個人的なお洒落だと思っていたけど、嫁から見ると違うって話だ。)

私自身は家事よりお出かけが好きだった祖母に演芸場、観劇、寄席、寺院、と色々連れ歩いてもらえ、生で玉川カルテットとか生前の円生や先代の三平や猫八を見られたり、タカラズカやSKDを見たり、築地の本願寺でお釈迦様の像に甘茶をかけたり、今思えばありがたい体験をたくさんさせていただいている。
子供の頃から「変な女」の私に生涯多大な理解を示してくれていて、大好きな祖母だった。
今も子供時代の楽しい思い出がよみがえるたびに、お空に向かって感謝している。

最晩年はいっしょに焼酎を呑んだり、祖母の子供時代の武勇伝や生れた村の怪談話を聴かせてもらったりして、楽しかった。
81歳で前の日の夜に寝たままの恰好でこと切れていて、去り際も好き勝手で気ままで、見事だった。