だから、もうビックリするとか苛苛するとか落ち込むとかいらないから。
ってか、今までのパターンを「面白い」って思わないから。

不全知不全能飽きたから。
もっと質の良い「面白い」が欲しいから。


って 自分に言ってみる。

そうしないと、どうも自我が次々探してくるみたいだから。

このところで一番「自我、ばっかじゃない?」と思ったのは

陶芸教室で今まで苦手だったひとが豹変して問題なくなったら、
他に「この人もなぁ、、、」と思っていた人が一躍「キライ前頭一枚目」に昇進してきたりしたの。

自分で、「自分って本当に人を嫌うの、大好きで手放したくないんだな~!」って呆れたよ。

だから、そういう楽しくない楽しみに表面の私がしがみつき始めたら、
「そういうの、まだ面白い?アタシは面白くないわ。」と上から目線で言ってみるようにしてる。


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電車の中で赤ちゃんの泣き声を止める技は、今もできている。

今日やってみて思ったのは、「止めよう」「止めたい」って意識がちょっとでも入ると難航するってこと。

何の期待もなく、アジの開きみたいになって「電車で火がついたように泣く子供のいる、この世界」を受け入れる、ってか、
そういう事象に対して心をフラットにするように努める、
のがいいみたいなんだよね。

まだまだこの「技」については探究中。