最近の一連の出来事を考えていて・

じゃあこの調子でいけば、コツをつかめばそのうち私っていろんな障害のないスムースな人生を歩んじゃうの?

とか 考えたわけです。(妄想全開・笑)

苦手だったオバアサン生徒さんがこっちが空ぶりするくらいに、素直になったように
たとえばやっぱり嫌いな親戚のずけずけして意地悪でケチで偏狭な叔母さんも 天使みたいに物わかり良くなるとか?

物事が思った通りスイスイ運んじゃうとか??

って考えたわけですよ。

そうしたらね、その瞬間、自分が 

なんか つっまんね~!

って 思ったのよ。(^_^;)

いやぁだ、私は嫌いな人を嫌って楽しんでたの?
嫌いな人がいる苦しみの楽しみっていうのに執着してるの??
悔しいとか人が妬ましいとか、そういうの、実は好きなの??

いけねぇ、いけねぇ。
これは苦労をしなければ学びや達成感が得られないだろうから、やっぱり苦労したり障害がある「前のまんま」のがいいなぁ、っていう 自我の横やりって奴じゃないか。
自我、頑張るなぁ。(笑)

大丈夫だよ、自分。
苦労しなくても、感動はそのままだよ。
苦痛がなくても、良いものは作れるよ。
だって今迄散々苦労したり悔しかったり淋しかったり嫉妬や憎しみで苦しかったり、したわけだからね。
それを乗り越えたり、それと友達になったりするのにどんだけエネルギー使ったのよ。
それを生産的な方に振り向けたらもっとすごいことが出来るんだからね。

もうあの分野の探求は済んだんだから、もっとマジカルでミラクルなことを勉強してみようぜ、


なんて 言ってはげましてみる。(笑)
マゾ癖ってなかなか抜けないもんですな。


【追記】
コメントに書いたんだけど、凄く大事なことだから本文に再編集。

これ、(上記の記事)

そのままでオッケー って観念が定着してないんだよね。
努力・克服病。

さらに嫌いな人が変わるとなんとなくツマランというのは、、、 黒いなぁ。
何て言えばいいのかな。
苛めの源とか。

しかしこうなってみるとまさに「自分」があのオバアサンや叔母さんをつくりだしていたのか、ってカラクリが すっごく解るわ。

アタシが楽しみたかったんだ。とほほ。
(-_-;)