心の中で Let it be してやると、その現象がぴたりと消える。

なんだそりゃ・だけど そういう現象が起こるようになった、と前の日記に書いた。
赤ちゃんが泣くとか、人の咳とか、そんなささやかなもんだけど、それに気が付いてから試してみたら、依然として電車内のひどく咳き込む人の咳が止んだりするのは、続いている。

そればかりか自分が意識して望まないでも、今まで苦手だな~なんて思っていた人の態度が勝手に変わったりし始めている。

以前日記に書いたけれど、陶芸教室でリウマチを言い訳にして依頼心一杯でそのくせ頑固で自分の思い込みの修正はできない・ちょっと困った生徒さんがいたんだけど。
そのオバアサンが勝手に変わった。
まだ時間一杯まで作業をやっていて他の人に自分の場所を掃除させたりしてはいるけれど、こちらの提案は前より素直に聞くようになったし、前より早く来て無駄なお喋りばかりしていないで作業に少し集中するようになった。
(前は「私はちっともうまくならないんだけど~どうしてかしら~」と愚痴りながら無駄話ばっかりしていたり、こちらのテクニック上の助言は「手がこんなだからできない」ばっかり言って受け付けなかった。)

なんだこりゃ。

と・いうような経験の中、先日「管祭り」と称するカラオケの会を親しい仲間たちと催してきた。
一杯歌って気持ちよ~く「透明な管」になろうという楽しいイベントで、効果絶大の浄化作用がある。

その管祭りの後お茶をしていて歌姫の1人と近況について話をしていて。
「なんか依然として電車の中で人の咳が止まったりはしているのよね。何だこりゃ、って感じ」という話をしたら、森から来た歌姫もそんな体験をしているという。
「こちらが意識を変えると、勝手に相手が変わるの。」と歌姫。

そ・そういえば私の陶芸教室のオバアサン生徒さんも勝手に変わったな。
(と・ここで初めてオバアサンが「勝手に変わった」のに気が付く。)

「だから、なにかあったら『ハンドルをしっかり握ろう!』と思うの」と歌姫。
「はんどる?」と聞き返したら「この前、まさにそういうシーンを映画で見た」という。

映画は「ハウルの動く城」で、登場人物が意識の象徴と思われる物(城?)のハンドルを握っていて、自分の操縦次第でいろいろな状況に行ける、という場面だそうだ。

「だから、周りが変わったんじゃなくて、『私たちの次元が移った』のよ。」

あぁぁぁぁあ~っっ!!!!!!!!!!!!!!!

そうか。
私にはよくわからないところがあった。
私は「赤ちゃんが泣いていても許す」にハンドルを向けた。
正直なところ、赤ちゃんには泣きやんでもらいたいってのが本音だったけど、それを超えて昨今の赤ちゃんの泣き声に対する冷たい反応が私は気になっていたから。
そうしたら、赤ちゃんは泣きやんだ。
本当の本音は「泣き止んでもらいたい」だし、オジサンの咳に関したって本音は「咳が止まってもらいたい」だったのに、反対にそれをLet it be させると、逆にそれは消滅してしまう。
自分の希望に蓋をして、逆を望めばいいのか?
一連のことが一体全体なんでだったのか、実は腑に落ちていなかった。

周りでなくて、私が別の次元に行ったのだ。

もしかしたら、赤ちゃんが電車の中で泣き続け、オジサンは咳をし続け、オバアサン生徒さんは被害者意識と依頼心で一杯のままの世界だって別次元で続いていて、別次元の私はそこで苛立っているのかもしれない。
だけど、赤ちゃんの泣く世界を認めたことで、私の意識の次元が変わって、私は赤ちゃんが泣きやむ世界にシフトしたのじゃないか。(かっこよく言えばね。)

全部「偶然」を大げさに穿って見ているだけ、と言われてもいいや。
私の生きている世界の真実は、こっちだから。

しっかりハンドルを握ろう。
森の歌姫、ありがとうね!

そして今このブログを読んでくださってる皆様、は「赤ちゃんが泣きやんだ次元」で私が出会っている皆さんです。
今後ともどうぞよろしくね!(^_^)/