今年の冬至はスピ系言うところのアセンションの要の日なわけで。
仕事も休みだし何か良い神社にでも行くか、とは思っていたが具体的には決めていなかった。
が、40年来の友人Uが「冬至の朝、穴八幡宮に並ぶけどお札は要る?」と訊いてくれたので、一緒に早稲田の穴八幡宮に早朝から並ぶことになった。
朝が弱いUのためにモーニングコールして、無事に6時に池袋集合。西早稲田からトコトコ暗い中を歩く。
私達は小学校以来の友人で、一時期は毎日のように徒歩で行ける繁華街まで歩いて行ってはでっかい本屋や手芸店に遊びに行った仲だ。
50がらみになってもこうやって独特の目的のためにつるんで歩いているのは感慨深い。
方向音痴のUの先導は少々ハラハラもしたが、空が白みかかる6時半位に穴八幡に到着。
名高い「一陽来復」御守(お札・と言っていたが御守り、であるそうです)を求める人の列は境内の半ばまでで、境内の外まではみ出ると聞いていたほどではない。
ネットでの予習では、朝一番は徹夜組で混み合うから7時位が一度落ち着いて良い、との事だ。
そのタイミングに当たったんだろう。
列に並んでいる人は見たところ近所の氏子さん達が多いようで、淡々として好ましい。
朝一番から金運の御守目当てに並ぶ奴なんてギラギラした物欲の邪気で一杯なタイプばっかりでは?と思って実は冬至の朝イチに穴八幡に来るのはあんまり乗り気しなかったのだが、杞憂でしたね。
並ぶうちに正面の鳥居越しから朝日が昇ってきて、拝殿まで真っ直ぐに日が射して来る。
なるほど、冬至は衰えた日の光がまた復活する分岐点で「一陽来復」の日、穴八幡は冬至の太陽を尊ぶ「いまから、ここから」のポジティブパワーの神社なのだ。
こういうことが実感できるので、やはり朝日を境内で見られる時間にこだわって良かった。
たとえ物欲ガツガツで並んだとしても、清々しい朝日で体の芯から浄化されそうだ。
「地元の人が多いかな」「アタシ、ここのマニアみたいな人ばっかりで変なムードかと思ってた」「それか・出勤前に貰っちゃおうって人か。」
出勤前に、って気合い入ってるなあ、と答えたら、Uが「だってアタシがそうだもん」と。
あんた、気合い入ってたのねぇ。(笑)
ふと足元を見ると空のビニール袋が落ちている。
神社にゴミなんて、あまりに失礼なので拾う。
列が動くとまたゴミを見つけた。
拾ってさっき拾ったビニール袋に入れる。
また列が動くとまたゴミを見つけ、、、と繰り返す。
「いつもこんなにゴミなんかないよ」「人出が多いからね」「お願いに来てるのに失礼すぎだよ」Uも一緒にゴミを拾ってくれる。
あ、たぶん神様指令「ゴミ拾ってね♪」ってことで最初に空のビニール袋を拾ったんだな。
気がついたら笑えてきてしまって、笑いながらゴミ拾いしているうちに社務所に着き、無事に「一陽来復」御守を手に入れる。
「お詣りしていくでしょ?」Uは実はクリスチャンなので一応訊く。
「まあ一応する」そうだ。
拝殿は人の流れもよく落ち着いて今年一年の感謝を呟いていたら、横にキツいパーマにキンキラの眼鏡をかけ、金歯までキラキラさせたオバサン2人に先導された女性のグループが来て、高らかに得意気になにやら祝詞のようなものを唱え出した。
あまりのキンキン声で、こちらは集中できなくて困る。
しょうがなくこちらも声を出して感謝の祈りを終わらせる。
「他人の祈りを邪魔するようなお詣りってどうよ?」とボヤキながらも無事に参拝を済ませ、近くのシャノアールで2時間も喋って、Uは仕事に、私は次の目的地の大宮に、と別れる。
私のこの日の次のメニューは武蔵国一宮、総鎮守である大宮氷川神社なのです。(*^_^*)
仕事も休みだし何か良い神社にでも行くか、とは思っていたが具体的には決めていなかった。
が、40年来の友人Uが「冬至の朝、穴八幡宮に並ぶけどお札は要る?」と訊いてくれたので、一緒に早稲田の穴八幡宮に早朝から並ぶことになった。
朝が弱いUのためにモーニングコールして、無事に6時に池袋集合。西早稲田からトコトコ暗い中を歩く。
私達は小学校以来の友人で、一時期は毎日のように徒歩で行ける繁華街まで歩いて行ってはでっかい本屋や手芸店に遊びに行った仲だ。
50がらみになってもこうやって独特の目的のためにつるんで歩いているのは感慨深い。
方向音痴のUの先導は少々ハラハラもしたが、空が白みかかる6時半位に穴八幡に到着。
名高い「一陽来復」御守(お札・と言っていたが御守り、であるそうです)を求める人の列は境内の半ばまでで、境内の外まではみ出ると聞いていたほどではない。
ネットでの予習では、朝一番は徹夜組で混み合うから7時位が一度落ち着いて良い、との事だ。
そのタイミングに当たったんだろう。
列に並んでいる人は見たところ近所の氏子さん達が多いようで、淡々として好ましい。
朝一番から金運の御守目当てに並ぶ奴なんてギラギラした物欲の邪気で一杯なタイプばっかりでは?と思って実は冬至の朝イチに穴八幡に来るのはあんまり乗り気しなかったのだが、杞憂でしたね。
並ぶうちに正面の鳥居越しから朝日が昇ってきて、拝殿まで真っ直ぐに日が射して来る。
なるほど、冬至は衰えた日の光がまた復活する分岐点で「一陽来復」の日、穴八幡は冬至の太陽を尊ぶ「いまから、ここから」のポジティブパワーの神社なのだ。
こういうことが実感できるので、やはり朝日を境内で見られる時間にこだわって良かった。
たとえ物欲ガツガツで並んだとしても、清々しい朝日で体の芯から浄化されそうだ。
「地元の人が多いかな」「アタシ、ここのマニアみたいな人ばっかりで変なムードかと思ってた」「それか・出勤前に貰っちゃおうって人か。」
出勤前に、って気合い入ってるなあ、と答えたら、Uが「だってアタシがそうだもん」と。
あんた、気合い入ってたのねぇ。(笑)
ふと足元を見ると空のビニール袋が落ちている。
神社にゴミなんて、あまりに失礼なので拾う。
列が動くとまたゴミを見つけた。
拾ってさっき拾ったビニール袋に入れる。
また列が動くとまたゴミを見つけ、、、と繰り返す。
「いつもこんなにゴミなんかないよ」「人出が多いからね」「お願いに来てるのに失礼すぎだよ」Uも一緒にゴミを拾ってくれる。
あ、たぶん神様指令「ゴミ拾ってね♪」ってことで最初に空のビニール袋を拾ったんだな。
気がついたら笑えてきてしまって、笑いながらゴミ拾いしているうちに社務所に着き、無事に「一陽来復」御守を手に入れる。
「お詣りしていくでしょ?」Uは実はクリスチャンなので一応訊く。
「まあ一応する」そうだ。
拝殿は人の流れもよく落ち着いて今年一年の感謝を呟いていたら、横にキツいパーマにキンキラの眼鏡をかけ、金歯までキラキラさせたオバサン2人に先導された女性のグループが来て、高らかに得意気になにやら祝詞のようなものを唱え出した。
あまりのキンキン声で、こちらは集中できなくて困る。
しょうがなくこちらも声を出して感謝の祈りを終わらせる。
「他人の祈りを邪魔するようなお詣りってどうよ?」とボヤキながらも無事に参拝を済ませ、近くのシャノアールで2時間も喋って、Uは仕事に、私は次の目的地の大宮に、と別れる。
私のこの日の次のメニューは武蔵国一宮、総鎮守である大宮氷川神社なのです。(*^_^*)