バスを使って内宮に到着。

バスはおかげ横丁の入り口付近のバス停に停まり、内宮には「こっちかな~」という感じに少しうっそうとした場所を目指して戻る感じになる。

ちょっと歩くと、すぐに急に視界が開けて一番外側の大鳥居「宇治橋鳥居」とその奥にかかる宇治橋が見える。
ひきもきらずに参拝する人が歩くが、圧倒的に清浄な空気感を味わいながら橋を渡る。

とにかく日が落ちるのとの戦いなので、立派な木が生い茂る参道を一生懸命歩く。
手水舎(てみずしゃ)でお手水をして、小さな太鼓橋「火除橋」を渡り第一鳥居をくぐる。

一直線に正宮を目指さず向かって右側にそれて行く道、五十鈴川の川辺「五十鈴川御手洗」に向かう。
きっと昔はここがお手水や禊の場所だったと思うので、こちらでもちゃんと手と口を清めようと思ったので。
「御手洗」は自然石がきれいに積まれて整備された真っ直ぐなデッキみたいな場所。
川に向かって二礼二拍手してから端の方でしゃがんで水に手を差し入れる。
小さな魚がたくさん泳いでいる。
とても穏やかで嫋やかな雰囲気の流れだ。

お浄めも済ませたらうっそうとした参道をひたすら無礼にならない程度に急いで歩く。
そんなに遅い時間ではなかったのだが、天気も薄曇りだし参道が暗かったのでちょっと焦ったような気がする。

神楽殿を過ぎて、来年新しく遷宮する新正宮の工事現場を横目に見ながら、ひたすらどん詰まりの正宮前の石段まで急ぐ。
参道から少し長めの石段を上り、ようやく正宮にたどり着く。
正宮前の石段の下の方で、塗りのお膳を二つ出して何かお供えをして、お禅の前に正座して神ごとをしていたらしい年配と中年の女性2人を見かけたのが興味深かった。

正宮は例によって門のようなものの入り口に白いカーテンが下がり、直接は拝めない。
賽銭箱があるわけでもないが、その門の地べたに白い布が敷かれて、そこにみんなお賽銭を奉納しているので、私もむき出しでだが、一族郎党を代表して紙幣を奮発する。
こういう時これからはむき出しにしないように半紙や賽銭袋を用意すべきだな、と思った。

楽しみにしていたんだけど、正宮ではとにかく人が次々に来て慌ただしく、何も感じられなかった!
私もお参りのご縁をいただいたお礼と日本の平安に対する感謝を急いで述べてすぐにどいてしまった。

「お帰りはこちら」とばかりに「出口」の立札で誘導されて新御敷地の横をすりぬけて、坂を上がって「荒祭宮」へ。
こちらはちょっと坂を上がるような場所なのでそうそう混雑しない。
カップルが一組お詣りするのを待ってゆっくりお詣りさせていただく。

「荒祭宮」は正宮と同じ天照大御神をお祭りしているんだけど
「数ある内宮の別宮の中でも御正宮と同じ平成25年に遷宮が行われる最も格式の高い別宮。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)(神の特別な働きをする状態、または神が現れる状態)をおまつりしています。」
だそうで、意味がよくわからないが天照大御神が本気モードになった状態とでも考えればいいのだろうか。
こちらではしっかり体の中心でパワフルな振動を頂いた感じがした。

もうだんだんスタンプラリーみたいな気分になって、坂を下りさらに火が落ちて暗さを増した参道を飛ぶように歩く。

第二鳥居近くまで戻り、「風日祈宮橋」を渡り、(ここがまた清浄で素晴らしい雰囲気。橋には何か次元を越えさせる作用があるのかもしれない。)
さらに小さな坂道を登って「風日祈宮」(かぜひのみのみや)に詣でる。
元寇の際に神風を吹かせて日本を守ってくださったという神様。
当時の日本人にすっかり感情移入してしまい、「あの時はお守りいただきありがとうございました!」などと口走ってしまう。
実際ね、大雨の時は大きな地震は起きないという気象学の通説がある。
雨風が魔を払うというようなことは現代人は意識から抜けているけど、脈々と続いているんじゃないかと私は思う。

橋を渡って参道に戻ると、いよいよ暗い。
木華開耶姫命をお祭りする子安神社まで行こうと、もう殆ど飛ぶように歩く。
時々しめ縄をめくらされた小石のようなものを見かけるが、なんだかよくわからんので雑に拝んでみたりする。
(富士山の初期の溶岩「さざれいし」とか籾だね石とか、そういったものだったようだ)

結局「神宮司所」「衛士見張所」あたりで進むべき道が解らなくなり、暗くなった参道も歩きにくくなったので諦めて帰路に着くことにした。
これにて今回の内宮の参拝は終了である。

宇治橋をまたありがたい気持ちで渡り、内宮から一歩出たら猛烈にお腹が空いているのに気が付く。
考えてみたら朝に津のホテルでもらった小さい菓子パン2つを水で電車の乗り継ぎの時に食べただけだったのだ。
「おはらい町」という出店街の入り口に「赤福」の出店があり、そこに飛び込んで500円で温かいぜんざいをいただく。
このあたりの「ぜんざい」は関東で言うところの「田舎汁粉」、小豆の粒々があるお汁粉だ。

5時近くになってしまったので、「おはらい町」も有名な「おかげ横丁」もどんどん店じまいをしている。
しかしとりあえず町並みだけでも、と流し見をしながら歩く。
古い木造の建物の酒屋が地酒をカウンターで呑ませてくれているのをちらほら見るが、今日中に東京に帰らないといけないので涙を呑んで入らない。

内宮には五十鈴川駅近くに内宮の「月読宮」もあり、写真を見るにとてもご立派な様子なので行きたかったのだが、バスに乗ったらもう真っ暗。
「またいらっしゃいな」ってことだろう。

いい感じで五十鈴川駅から特急に乗って名古屋に出て、名古屋から新幹線で東京に帰って着る。
「おはらい」は新幹線の中で名古屋名物がぎゅ~っと入った駅弁とビールと赤ワイン。

長くなりましたが、これが私の「気が付いたらお伊勢参りが第一目的」みたいな岐阜・四日市・石山・津・お伊勢様、をまわる旅でした。
その後何がどう変わったとも思いませんが、前より一層すがすがしい気分でいる時間が長くなったような気がします。
いつかまた、泊りがけでゆっくり回りたいです、本当に。