なんだか私の周囲のあっちこっちで恋愛の陽炎がゆらゆらしてきているような気がする。

昔の恋の勿忘草がぽっ・と咲いちゃったり咲かずとも押し花にしていた勿忘草が昔の愛読書から出てくる、みたいなかんじ、とか。

先日会ったリアル友の一人は「男の親友」といえる人が遠い故郷に帰ってしまうのを見送ってきて、
「本当に一番大事な人だってことは解ってるんだ、、」とため息モード。
幸せになるのに遠慮はいらないよ、心の声をよく聞いて後悔のないようにね、と励ます。


周囲のそんな様子を見ていたら、このブログを書き始める切っ掛けになった前の彼ちゃんがしばらく思い出されてきた。
酷い結末だったけど、本当に掛け値なしに好きだったんだよなぁ、ひとつも頼りになる人でもなかったけどあの人のことを考えるだけで幸せで楽しくて。
見栄っ張りで小賢しいところがあった人だったけど、(それ、私の大っ嫌いなタイプなのに!)
それを含めて可愛かったのよね・なんて。
旅が好きな人だったから、今でもつきあっていたら絶対大喜びで台湾に遊びに来ていたに違いないな、
どこかのパラレルワールドではそういう風に楽しい日々を過ごしている2人もいるのかもしれないな・(だから、もういいや。) 
な~んてね♪
実は台湾にいた時も急に前彼ちゃんを思い出す日があって、「これは記憶の棚卸の一環だなあ、いよいよこの話も本当に終わるんだな」と思っていた。

そしたら今日、前彼ちゃんを思いがけなく「見た」。
たまたま東京の地元で地域活性化のお祭りをやっていて、通りかかったら私のかつて所属していた趣味の会もお祭りのステージに上がることになっていた。
1時間くらい時間をつぶせばステージが見られたので、これも最後のご奉公(?)かもね、と、客席から飛雄馬を見守る明子姉ちゃんくらいの露出度で、見守ってきた。

一生懸命、彼らしくやっていた。
やっぱり今でも可愛いひとだと思うなぁ、自分はあの人を好きだったって本当に言えるなぁ、
(・・・・・あたしってお人よしだなぁ)
でも もうたぶん私たちは別のプラネットに住んでいるんだろうな、遠いな、とも。


多分これで本当に終わりだろう。
この次に好きになる人は、



・・・・・・・・ここまで書いて止まってしまった。
今度好きになる人に私はどうあってもらいたいの?
「もらいたい」って何?
好きになるって要求することじゃないよね?
しかしそれを頭で考えてやせ我慢をしたのが前回の失敗だったわけです。

(・・・・シンキングタイム・・・・・)

もともと「そういう人」を引き寄せればいいのであります。
私が強いないでも、最初からそういう人を、呼べばいいのでした。
だから「こういう人がいいなぁ~」くらいの乙女な要求はあったって構わないんだよね。
変に固く考えようとしちゃった。

好いた惚れたっていうことの中で、その対象に対しての距離の取り方でまだ自分は混乱するというか、他のことに比べてまだ迷う。
う~ん、まだ少し次に行くまで時間がかかるかもしれない。