6月30日に無事に帰国しました。

帰国の前々日、28日の夜は手掛けていた大きな作品を終わらせるためにほとんど徹夜。
180cmを越えた作品は2段に分けて作ってあり、その上部の動きがなかなか気に入らなくて苦しんだためにギリギリまで作ることになる。
見上げた状態で全体を見てもなかなか正確なムーブメントが見えないので、作品が焼けた時(15%縮んだ時)の目線になるべく、椅子の上に乗ったり目線を調整しながら作品の動きを見る。

さすがに体力的にきつくて正気を失いそうなのを、声を出して自分を励ます。
「ここまで粘ったんだから、今疲れに負けて妥協しちゃダメ!」
「台湾の神様、日本の神様、みんな私に力をください!」
・・・正気の沙汰じゃないけど、作品の最上部分は高いスツールに煉瓦を置いてさらにそこからつま先立ちになった不安定な中で作っているので、うっかり落ちたら作品も私ももろともパアになるので必死。
形も作業のクオリティもまだ粘れる、あと3日あればもっといいものに出来る、と思うのだが「今の状況と体力と実力ではここまで」というところで自分にタイムアウトを宣言。

・・・なんか宇宙人みたいなもんができてしまいました。
結局粘土は800kgをほとんど使った。


29日の朝に博物館のスタッフが6人がかりで作品の上部を下の部分から動かす作業。
当日の明け方まで作っていた「粘土」を持ち上げて動かすというのは無謀なことなのですが、焼いていない粘土というものは「半乾き」くらいが一番丈夫、「完全乾燥」していると逆に脆くて弱いのです。
旧友スタッフハンチン氏やディレクターのホン氏と相談して、もうなにがなんでも29日の朝に上下パーツを分けることになっていた。
そのため私は大嫌いなエアコンと天井についているファンを一晩中つけて作品を強制乾燥させながら自分も冷風に吹きさらされながら作業。(これもつらかった)

上下パーツを分ける作業はハンチン氏が大物を無謀に作る多摩美の陶芸クラスの出身者であったために、恐怖と緊張の作業だったんだけど無事に終了。
ハンチン氏はお子様の卒業式の朝なのになんとか時間を作って出勤してきてくれた。ありがとうありがとう。

上下を分けたら次にするのは下の部分を窯に入るサイズにノコギリで切り分ける作業。
しかしその前に派手に乾燥のアンバランスで出来たヒビを修正。
ストレートお姉さん・ディーンと雑談していた時に話に出た「ペーパークレイ」(粘土にトイレットペーパーなどの紙の繊維を混ぜてヒビ対策をした土)を思い出して急きょ適当な目見当のレシピでペーパークレイを作ってそれで補修。
ヒビがどうにか繕えたところで「ノコギリ引きの刑」みたいに作品を切っていく。
これは予想より難航しないで終了。大道具時代の昔取った杵柄ってやつだ。

これらと並行して小さな作品に鉄の台座を付けたり仕上げに耐水ペーパーで磨いたりの仕事。

夜は私の送別をかねて博物館女子職員有志がなぜか日本食の食べ放題に連れて行ってくれる。
台湾の人達の食べ放題ってほとんど拷問みたいなもんなのですが、久しぶりのサバの塩焼きは嬉しかった。
前の日の睡眠不足も祟ってなにも荷造りせずに寝る。

30日、飛び起きてに荷造り。
どうせ7月下旬にまた焼成のために帰ってくるので、身の回りのものや作業着、大きな作品のための型などはみんなダンボールにまとめて石膏室の倉庫に入れておいてもらう。
段ボール箱やスーツケースを持ってアパートとスタジオを何往復もして、最後にアパートの掃除をざっとしたところでお迎えの車が来る30分前。
ディーンやおサルのジョンスンと慌ただしく挨拶して(おサルがもう自分に関係ないと思うや本当にそっけない態度で本当に器の小さい奴だと実感・笑)
アシスタントのケン君がスタジオから本館まで電動自動車を出してくれる。

ケン君が本館の中で私のスーツケースを持ったらボリッと言ってスーツケースの取っ手が壊れてしまうというアクシデント。
更に指定の場所で空港へ送ってくれる車を 待っても 待っても こ な い。
出てくる前に挨拶に寄ったオフィスには職員さんゼロ、不安になっても誰にも訊けない。
土日の博物館と三岐を結ぶシャトルバスのガイドさんと立ち話しながら「もう待っていられないので自分でタクシーに乗る!」と宣言した時に、スクーターに乗ったスタッフ・ケリー嬢登場。
渋滞で頼んだ車が遅れているという連絡があったそうで、一緒に待つこと30分、やっと私の乗るべき車が登場して挨拶もそこそこに乗り込む。

ただでさえ空港到着がフライトの1時間前という時間設定で送迎を組まれていたので「大丈夫かよ?」のところに30分遅れ。そして空港までの道もまた通常より渋滞。

・・・・・もうこれは深呼吸して目をつぶって「ちゃんと自分のフライトに乗れる」と自分に言い聞かせながらリラックスに努める。
運転手さんも間に合うように飛ばしてくれている。

結局フライトの30分前に空港着、航空会社のカウンターにすっ飛んで行って「急いでいるんです!」とお願いしてそういう人用の窓口に通され、
・・・・・なんとか予定のフライトに乗れて、成田に無事着きました。

ああ、バタバタバタバタバタバタ。
帰国してからもすぐに留守の間に山梨の家について世話をかけた叔母の家に母と出かけることになり、バタバタバタバタ。

今こうやってようやく座ってネットに向き合っています。

明日は虚脱して一日断食をしながらぼやっとしようと思う。
明日、(もう今日)はそういえば満月で、私の誕生日だった。
良い断食が出来そうだな。