先日の日記でぼやいたように、昨日母が山梨の家に里帰り。
母を駅まで迎えに行き、足の悪い母の代わりに2か所の墓参りに1人で行き、あとは隣の大叔母のところで昼過ぎから飲み食いして・疲れて9時半には寝てしまった。
今日は朝早くから洗濯・筋トレ・自力整体・して母に持たせようと畑から小松菜を抜いたりして、小一時間母を乗せて自動車で叔母のところへ移動。
叔母の連れ合いの娘さん(母の末の妹である叔母は初婚で、叔母の連れ合いは再婚なのでこういう面倒な言い方になる)の結婚式に私も母もご招待いただいているので、着る着物や当日の打ち合わせなどを行う。
着付け講師の母と叔母に私の最近のタートルネックにウールの着物の着こなしの初披露。
どんな批判を受けるかと身構えていたが「これはこれ」と納得したようで、
「そういう(気楽なルールのない)着方なら、こういう半端ものが着られるでしょ」と、叔母から母方の祖母の妹、私にはまた大叔母にあたる人の着物や叔母の知り合いのおばあさんの遺品の着物や叔母のウールの着物、数えきれないほど貰う。
貰うにしても地味すぎたり変色したりサイズの小さいものも多く、もらったところで即戦力にはらない着物なんだけど、とりあえずありがたく頂いてきた。
頂いた中では大叔母の時代がかった長羽織と叔母のお友達の古代紫の小紋、叔母の若いころのアバンギャルドなプリントのウールが即戦力になりそうだ。
今着られなくても、縁あって私のところに集まって来たので大事にしてあげたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お正月やお彼岸といった親戚の集まる行事で最近とみに感じるのは親世代が年を取って危なっかしくなってきたことだ。
母は隣の大叔母のところで呑みすぎてクダを巻きかけていたし、妻に先立だれた叔父の最近の生活を聞くと生きながら緩慢に死のうとしているかのようで悲しい。
連れ子さんが結婚する叔母だって一番若いけれど・いつまでもこのままきびきびしてはいられない。
陶芸教室の生徒さん達が70歳超えるとこちら側とは違うテンポの中で生き始めるのと同じことに、やっぱりなり始めている。
もちろん私1人がこの人たち全員を支えるわけではないんだけれど、この人たちを十分に支えてあげるだけ稼いでいない自分がなんだか物悲しい。
心や体では出来るだけ支えて行くつもりであるが、私の子供時代から今迄支えてきてもらって応援してきてもらったことをどのくらい返せるんだろうか。
いつか大人になったら彼らのようにちゃんとした大人になる、と思っていたのについになれなかった・
もしくはこれからなるにしてもかなり遅れている・ような気がする。
彼らにとってちょっと話題性と彼らの自尊心をくすぐるような「ゲージツ家の娘・姪」にはなったわけなんだけど、
そういう話題性だけでお茶を濁すんじゃなくて、もっと確実にあの人たちのためにならなきゃ。
ここからやっと恩返しが始まるわけで。
ってわけで 私はもっと売れたい。
あの人たちにもっとサービスできるほどには。
!!!!!だから私はここのところ妙に、焦っていたんだな。
やっぱり書くのは大事だ。
母を駅まで迎えに行き、足の悪い母の代わりに2か所の墓参りに1人で行き、あとは隣の大叔母のところで昼過ぎから飲み食いして・疲れて9時半には寝てしまった。
今日は朝早くから洗濯・筋トレ・自力整体・して母に持たせようと畑から小松菜を抜いたりして、小一時間母を乗せて自動車で叔母のところへ移動。
叔母の連れ合いの娘さん(母の末の妹である叔母は初婚で、叔母の連れ合いは再婚なのでこういう面倒な言い方になる)の結婚式に私も母もご招待いただいているので、着る着物や当日の打ち合わせなどを行う。
着付け講師の母と叔母に私の最近のタートルネックにウールの着物の着こなしの初披露。
どんな批判を受けるかと身構えていたが「これはこれ」と納得したようで、
「そういう(気楽なルールのない)着方なら、こういう半端ものが着られるでしょ」と、叔母から母方の祖母の妹、私にはまた大叔母にあたる人の着物や叔母の知り合いのおばあさんの遺品の着物や叔母のウールの着物、数えきれないほど貰う。
貰うにしても地味すぎたり変色したりサイズの小さいものも多く、もらったところで即戦力にはらない着物なんだけど、とりあえずありがたく頂いてきた。
頂いた中では大叔母の時代がかった長羽織と叔母のお友達の古代紫の小紋、叔母の若いころのアバンギャルドなプリントのウールが即戦力になりそうだ。
今着られなくても、縁あって私のところに集まって来たので大事にしてあげたい。
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お正月やお彼岸といった親戚の集まる行事で最近とみに感じるのは親世代が年を取って危なっかしくなってきたことだ。
母は隣の大叔母のところで呑みすぎてクダを巻きかけていたし、妻に先立だれた叔父の最近の生活を聞くと生きながら緩慢に死のうとしているかのようで悲しい。
連れ子さんが結婚する叔母だって一番若いけれど・いつまでもこのままきびきびしてはいられない。
陶芸教室の生徒さん達が70歳超えるとこちら側とは違うテンポの中で生き始めるのと同じことに、やっぱりなり始めている。
もちろん私1人がこの人たち全員を支えるわけではないんだけれど、この人たちを十分に支えてあげるだけ稼いでいない自分がなんだか物悲しい。
心や体では出来るだけ支えて行くつもりであるが、私の子供時代から今迄支えてきてもらって応援してきてもらったことをどのくらい返せるんだろうか。
いつか大人になったら彼らのようにちゃんとした大人になる、と思っていたのについになれなかった・
もしくはこれからなるにしてもかなり遅れている・ような気がする。
彼らにとってちょっと話題性と彼らの自尊心をくすぐるような「ゲージツ家の娘・姪」にはなったわけなんだけど、
そういう話題性だけでお茶を濁すんじゃなくて、もっと確実にあの人たちのためにならなきゃ。
ここからやっと恩返しが始まるわけで。
ってわけで 私はもっと売れたい。
あの人たちにもっとサービスできるほどには。
!!!!!だから私はここのところ妙に、焦っていたんだな。
やっぱり書くのは大事だ。