某世界中に実名で自分をさらしまくるSNSで、アメリカで12年前に一緒に制作していた作家とつながった。
今ドイツにいるらしいので、「ヨーロッパで一度も制作したことがないの、情報を教えて」と軽~く書いたら
「今まさにあなたを呼ぼうとして探していたのよ、略歴と写真を送って」だってさぁ。(@_@)

まだまだ話の段階だけど、眠い目をこすりながら最新の略歴を英語で打ち直している。
酔いも吹っ飛んだ。
英語が苦手だなんて言っている場合じゃなくなったな、またもや。


【追記】

はぁ、しかしネットのおかげでなにもかもテンポが速くなって情報も流れだして、このテンポについていけるやる気と元気がある作家ならどんどん海外に出ていけるようになった。

私が海外でつくってみたいと思った1994年、
そういう情報は日本に女性陶芸家をリサーチしに来たアメリカ人の教授から手渡された一枚のリストで知ったのだ。
初めて海外で制作した1995年はまだ一部の人しかインターネットを使っておらず、
海外滞在制作の情報はアメリカの専門の本を取り寄せて本で調べ、一生懸命英文タイプで手紙を打って資料を請求したり自分を売り込んだりしたのだ。
初めて長期滞在した2000~2001年でやっと電話回線のネットで国境を越えたやり取りをするようになったのだ。
隔世の感だ。

この何年かで何年か前に私に海外事情を訊きに来た若い作家が今は海外在住だったり・
某SNSで見ていると15~20才くらい若い作家は世界中に散らばって作品を作っているのがわかる。

はっきり言ってすっごい遅れをとったような置いてけぼりを食らったような。(笑)

私はどうしたいのか、私なりの方針をもっと明確に持つ時期なんだと思う。
私の場合どこか海外に根ざすのでなく・日本で制作して海外でも作品を売りたいということなんだが・そのへんをどうするかなんだわ。

最近の若い作家みたいに現代美術の画廊に所属して「私は陶芸家でなくて現代美術家です」と言い切るのは・
やらなきゃならないかと思ってやろうとしてみたが、自分も本気でないし相手も求めていないようで、そうはうまくいかなかった。

頭で考えたり情報に踊らされたりして頑張ろうとしても健康を害するのがオチなので・

なにがどうなれば自分は幸せなのか・よく心を落ち着けて見極めてから・望む(臨む)ことだ。