私は 私のことしか 関係ないわ!(笑)

誰が嫌いとか
誰がいけ好かないとか
誰に圧迫感を感じるとか
誰に傷つけられたとか

全部 「私」のことじゃなかった・と思うのです。

誰がどうでも、それは私のことじゃないのです。

私は、外界がどうあれ、ちゃんとゆるぎなく、いつも私なのです。
いつも私でいる限り、誰も私に影響はないのです。
それぞれがそれぞれにそれぞれの理由でいるだけなのです。

私が誰のことが嫌いでも、いけ好かなくてもそれで相手も私も浸食されません。
事実があるだけです。
私はそういう時、とても罪悪感と罰せられる気持ちを持ちました。
でも・ただの事実でした。

誰かに圧迫感を感じても、誰かに傷つけられても、自分がそんな気になっただけ、でした。
たとえば相手の高圧的な振る舞いや不実な行動はあったけど、
そういう事実があったってだけで・自分と相手の思いがずれていたというだけのことで・
自分が「傷ついた~!!」と思う必要はないのでした。
(そう思ったらとりあえずそう受け止めてから、「でも実はね。。。」と書き換えすることも可能かと思う)

なんか・酒飲んでるから急に閃いたのかもしれないけれど
「私はいつも馬鹿にされる」とか「私はいつも傷つけられる」っていう自分への呪いをまだ捨てきれてなかったんじゃないかと思います。

ので・捨てます。(笑)



いや、実はね・
今日作品を貸し出している大手画廊から連絡があって
私の作品を搬出の時に作業員が壊したんだって。
で・電話の主は「確認してくださいぃ」としか言わないので

「『確認して下さい』だけですか?ちゃんとした画廊さんなら買い取るとか、対応をされますよ?天下のA-トFロントギャラリーさんならきちんと対応してくださいますよね?」

くらいのことは言えるようになったんだ。

2009年に大手の中間画廊が私の作品を搬出の際の相手のミスの事故で壊したときに、私は非常に不快で情けないと思ったのに、その気持ちに罪悪感を抱いて、うまく対応できなかったの。
そして正規の値段の三分の一くらいの値段でその画廊に自分の作品を保証させて、作品は綺麗に自分で修復して、修復費用もとらなかったの。
バカみたいだったの。

その時に、なぜ自分はちゃんと怒れないんだろう、
私はいつも怒るべき時に怒れないで後で恨みがたまっていって、それが間違いなのだけはわかるけど、
そもそも人は怒っていいのだろうか?
怒っていいならどこまで怒っていいのか?
どのように怒ればいいのか???

という質問を・一時はスピ系ブログでランク1位だった「僕のアニキは神様とお話しできます」の「神様ホットライン」に投稿したのでした。
ずっとこのホットラインについては知っていたんだけど、自分の悩みなんてせっぱつまった人に比べればどうということもないと思っていて遠慮していたんだよね。
その時はもう苦しくて苦しくてたまらなくて、我慢できなくてついに投稿したのでした。
結局私の順番が来る前にアニキさんが体調を崩し、お答は聞けなくなったんだけど
龍さん・アニキさんの講演で「怒りについて」という話題があって、みずねこさんのレポートを読んで私はかなりすっきりしたのでした。
そして自分の怒りを肯定していくことで自分の怒りを飼い慣らしていくことがだんだんうまくなったと思うんだ。
(そうしたら怒る頻度は減ったと思います。)

で・今日の出来事での私の対応は、やっぱり前の私とは違って、進歩したと思うんだ。
向上したと思うんだ。

って自分褒めしちゃって、断食明けなのに酒が旨いのです。(笑)