と・いうわけで「きっぱり」したらかまってちゃんジイサンに逆恨みされて面倒くさかった、っていう話でした。

この件では本当に職をこれで失うことになっても私が自分の陶芸クラスで守ろうとした私の陶芸へのポリシーはまったく揺るがない。一歩も引かない。
解ってくれない人には解るまで心を込めて説明する。
室長も、他の生徒さんもみんな私の味方になってくれて、この話はけりがついた。
(と、思う。明日の仕事始めにまたどんな展開があるともわからないけどね。)

それにしても後味悪かったのだ。
Fさんのしたことは子供っぽくて卑劣だとは思うが、そんな心の弱い人間のことを追い詰めないでどうにかうまくあやせなかったもんかなぁ、とちょっと心は痛んだ。

でもね。

そもそも、Fさんの他人を貶めて自分がいい気持ちになって陶芸を楽しむというあの態度を、
私が3年も正面から向き合わないで許したのがいけなかった。
人それぞれだし大人だし、と黙認したのが悪かった。
もっと遠まわしでなくはっきり言うべきだった。
(いや、呑み会の席で「Fさんは上級者なんだから、初心者のいいところを見つけて誉めてあげてください、そうしないと初心者は委縮しちゃうからね」とお願いしたはずだぞ。その後は多少良くなったんじゃなかったっけ??やるべきことはやってるぞ、私は)

そんな人物なのでFさんはあんまり陶芸教室でお話してもらえる人が少ないので、
気を使ってこちらから「かまってほしいオーラ」を察してお話ししてあげたりしたのがいけなかった。
最初から私だって好きな人じゃないのに無理して優しくしたから
逆に私が「本性」出したら逆恨みしたのだ。
客商売だからって変に気を使ったのがいけないのだ。
相手の「かまってオーラ」なんか察知してやる必要なかったのだ。
小手先や頭で考えて「うまくやろう」なんて思っても、うまくなんか行かないのだ。

なんてつらつら考えていたら、ゴールデンハムスターさんが家政婦のミタの話を日記に書いていらして、それを読んだらすっとして、こんなコメントを書いた。

1 ■なにかすっとしました。

この半月対人関係のトラブルに巻き込まれておりまして、昨日冬至に、基本私の勝利のような形でそれは終わりました。
みんなが私の味方についてくれたため相手は自爆したみたいなもんでしたが、後味は悪かったのです。
相手は卑劣で稚拙でしたが弱い人間でしたから、自爆させないように上手く私があやせなかったかな、と思ったり、いや、自分としては自分の対応を曲げることはできなかったな、とか、後味の悪さのなかをさ迷ってました。

ハムさんの今日の記事を読んで、ふっと、後味の悪さが落ちました。
自分の決断と行動に責任を持って、あとは天に任せて起こることを引き受けていけば良いのだ、と思えましたよ。
ありがとう。



そういうことだ。
自分が正しいか正しくないかなんて天の目線になれば誰も何も正しいも悪いもない。
自分を自分の中心に据えて、自分の光の柱をいつも輝かせて生きるしかないのだ。
そして起こることを自分を中心に据えつつ落ち着いて受け止めて生きるっきりないのだ。
「自分」なのだ。

ってことで私の今年のテーマは ますますいよいよ今以上に もっと自分になる、ってことなんだ。

長文を読んでくださって、ありがとう!!