室長に呼ばれてFさんの投書を見せられた私は、あまりに事実と違うので思わず
「うっっわぁ~!!こりゃひどい言いがかりだ。」と笑ってしまった。
室長が、「どんな経緯でこんなことを書かれるのか思い当たるか」というので、
「私はFさんを苛めた覚えはないけれど、彼のご機嫌を損ねることはしたと思う」
と、今までの経緯を正直に全部話した。
話した内容をじっと聴いていた室長は、FさんがFさんの被害者目線で脚色して言っていることと、私が言っていることが大体合致していると解ったそうだ。
結論として「どこにでも変な人はいるから、まぁうまくやってください」ということになって
私は「今度暮れの呑み会ででも彼とサシで話しましょうね」ということになった。
室長との話し合いが終わって、木曜日の自由クラスも終了の時間を過ぎて陶芸室に戻ったら、
何人かの生徒さんが心配そうに私を待っていてくれた。
「センセ、室長さんに何言われたの?」「大丈夫?」
あれ、なんでみんな私がどうして室長に呼ばれたのか知ってるの??????
実はFさんが自分の投書と同じ内容を木曜金曜の自由クラスの参加者の生徒さんにメールで大々的に回していたのだった。(笑っちゃった。)
室長と話して、室長は私を理解してくれたし、私は別に何のお咎めを受けたり怒られたりしていないというと、残ってくれた人は本当に喜んでくれて、
「とにかくこんな変なことで先生の軸がぶれないかだけ、心配で、、、」
「先生、先生に何かあったら私たちはいつでも出るところに出るわよ、私たちは先生の味方よ!」
と強い励ましまでいただいたのだった。
受けて、「今度の呑み会ででもFさんとちょっと話すよ」
と・言ったらさすがに彼は今度の呑み会に来ないということで、あ~らどうしよう??と思ったがその日はそれでお開きになった。
正直私は個展の前の窯が壊れたり腰が痛くなったりの大騒動の時期で、Fさんの渾身のアピールなんて鼻糞つけられたほどにもコタエなかった。
これで職を失うことになっても私は今回の私の態度は正しいと思うので、何があっても受けて立とうと思った。
2週くらいおいて冬至の日、苦情があって初めてFさんと顔が合う日がきた。
室長と打ち合わせして、室長から話はもらったこと・お話があればいつでも室長と3人でFさんのお話を聞く機会を設けること・はとりあえず言っておいたほうがいいかな、ということになった。
で・朝、挨拶をしてつかつかっとFさんに寄っていって上記のことを や ん わ り と言ってみたのだが。
や ん わ り 過ぎたようで幼稚園生に言うみたいになっちゃったらしくて
F さ ん 大 激 怒 。
「ワタシはアンタの親の年なんだっ!ちゃんと話しなさいよっ!!大体アンタは私を馬鹿にしてるんだっ!!アンタの親の年なんだっ!!」
席を蹴って立ち上がって怒鳴り始める。
あちゃ~、と思って、それでも「なにかお話がありましたらいつでも室長とお時間を取ってお聞きします」と頭を下げて、その足で室長に会いに行って
「余計怒らせちゃいました。」と報告、苦情がまたあったらそれはそれで受けて立つ旨をお話ししておいた。
事務所から戻って私は全然普通にいつものように釉薬を整備したり質問を受けたりして働いた。
Fさんも私の周辺には来なかったけれど普通に作品に釉かけして帰った。
さらなる苦情はその日はなかったようで、私はその日の夜につつがなく有志の陶芸教室生徒さんと楽しく忘年会をして2011年の陶芸指導を終えたってわけでした。
以上がこの話の顛末で、これで何を考えたかって話は次に書きます。
「うっっわぁ~!!こりゃひどい言いがかりだ。」と笑ってしまった。
室長が、「どんな経緯でこんなことを書かれるのか思い当たるか」というので、
「私はFさんを苛めた覚えはないけれど、彼のご機嫌を損ねることはしたと思う」
と、今までの経緯を正直に全部話した。
話した内容をじっと聴いていた室長は、FさんがFさんの被害者目線で脚色して言っていることと、私が言っていることが大体合致していると解ったそうだ。
結論として「どこにでも変な人はいるから、まぁうまくやってください」ということになって
私は「今度暮れの呑み会ででも彼とサシで話しましょうね」ということになった。
室長との話し合いが終わって、木曜日の自由クラスも終了の時間を過ぎて陶芸室に戻ったら、
何人かの生徒さんが心配そうに私を待っていてくれた。
「センセ、室長さんに何言われたの?」「大丈夫?」
あれ、なんでみんな私がどうして室長に呼ばれたのか知ってるの??????
実はFさんが自分の投書と同じ内容を木曜金曜の自由クラスの参加者の生徒さんにメールで大々的に回していたのだった。(笑っちゃった。)
室長と話して、室長は私を理解してくれたし、私は別に何のお咎めを受けたり怒られたりしていないというと、残ってくれた人は本当に喜んでくれて、
「とにかくこんな変なことで先生の軸がぶれないかだけ、心配で、、、」
「先生、先生に何かあったら私たちはいつでも出るところに出るわよ、私たちは先生の味方よ!」
と強い励ましまでいただいたのだった。
受けて、「今度の呑み会ででもFさんとちょっと話すよ」
と・言ったらさすがに彼は今度の呑み会に来ないということで、あ~らどうしよう??と思ったがその日はそれでお開きになった。
正直私は個展の前の窯が壊れたり腰が痛くなったりの大騒動の時期で、Fさんの渾身のアピールなんて鼻糞つけられたほどにもコタエなかった。
これで職を失うことになっても私は今回の私の態度は正しいと思うので、何があっても受けて立とうと思った。
2週くらいおいて冬至の日、苦情があって初めてFさんと顔が合う日がきた。
室長と打ち合わせして、室長から話はもらったこと・お話があればいつでも室長と3人でFさんのお話を聞く機会を設けること・はとりあえず言っておいたほうがいいかな、ということになった。
で・朝、挨拶をしてつかつかっとFさんに寄っていって上記のことを や ん わ り と言ってみたのだが。
や ん わ り 過ぎたようで幼稚園生に言うみたいになっちゃったらしくて
F さ ん 大 激 怒 。
「ワタシはアンタの親の年なんだっ!ちゃんと話しなさいよっ!!大体アンタは私を馬鹿にしてるんだっ!!アンタの親の年なんだっ!!」
席を蹴って立ち上がって怒鳴り始める。
あちゃ~、と思って、それでも「なにかお話がありましたらいつでも室長とお時間を取ってお聞きします」と頭を下げて、その足で室長に会いに行って
「余計怒らせちゃいました。」と報告、苦情がまたあったらそれはそれで受けて立つ旨をお話ししておいた。
事務所から戻って私は全然普通にいつものように釉薬を整備したり質問を受けたりして働いた。
Fさんも私の周辺には来なかったけれど普通に作品に釉かけして帰った。
さらなる苦情はその日はなかったようで、私はその日の夜につつがなく有志の陶芸教室生徒さんと楽しく忘年会をして2011年の陶芸指導を終えたってわけでした。
以上がこの話の顛末で、これで何を考えたかって話は次に書きます。