スマイル0円だし、コストゼロなんだから笑っとけ、という方です。
「和願施」(わがんせ)って言葉がありまして、笑顔は周りへのプレゼントなのです。
しかも最近は1人で歩いているだけでもニマ~っとしてしまう。
風が気持ち良かったり楽しい事を思い付いたりするもんだから。
それは何にも悪いことじゃないんですが。
笑顔の結果まわりに「かまってちゃん」が群がるようになってきてしまった、、。
まぁ職場のボイラーマンのおじさんたちとか陶芸教室のジイサン達とかなんですが。
話しかけてくる方の気持ちだって解るから、むげにもできないし付き合ってると延々話さなきゃいけなかったりして、困ってきてしまった。
困ってくる、どんよりと後で疲れて快適じゃないというのは私が本当に求めていることではないからで。
しかし上にも書いたように相手の方の気持ちもあるから、板挟みになるわけです。
しかし、心で何か我慢していることはやっぱりどこかで歪みが出て良くない。
以前の私なら、頭で考えて我慢して我慢して、結果的に急にちゃぶ台をひっくり返すみたいに怒ってしまったり心のシャッターを下ろしてしまったりしてきたわけです。
そういうのは卒業したい。
というわけで愛想よく無愛想になるテクニックを模索中。
とりあえずニコニコ返事はしていても生返事、自分がそのとき本当に集中したいものー読んでいる本とか、お昼休みにワンセグで真剣に見ている朝ドラ「カーネーション」とかーに集中していたいというのを我慢しない、とか。
つまんない話を延々繰り返すオジサンにはこちらから話に無理矢理オチをつけて早めに話を強制終了、とか。
オジサン達に出くわしそうな食べ物屋にはランチに行かない、とか。
(お店で隣り合わせたりしたら最期、お話が始まって飲んだようでも食べたようでもなくなる。オジサン達の話は顔を見てよーく聴いていないと解らないことも多いし、いちいち相槌やリアクションが求められるから。でも食べ物屋も限られていてよく遭ってしまうんだけど。)
本当は「面倒っ!」って思わないのが一番良いんだとは思うんだけど、今はそう思うんだから自分を無理させちゃいけない。
愛想良いマイペースの達人になれたらいいなぁ。
そういうの、出来てる人は出来てるよね。
嫌だな、とちょっとでも思うことは段々にでも敢えてしない、を選択できるようになりたいな。
「和願施」(わがんせ)って言葉がありまして、笑顔は周りへのプレゼントなのです。
しかも最近は1人で歩いているだけでもニマ~っとしてしまう。
風が気持ち良かったり楽しい事を思い付いたりするもんだから。
それは何にも悪いことじゃないんですが。
笑顔の結果まわりに「かまってちゃん」が群がるようになってきてしまった、、。
まぁ職場のボイラーマンのおじさんたちとか陶芸教室のジイサン達とかなんですが。
話しかけてくる方の気持ちだって解るから、むげにもできないし付き合ってると延々話さなきゃいけなかったりして、困ってきてしまった。
困ってくる、どんよりと後で疲れて快適じゃないというのは私が本当に求めていることではないからで。
しかし上にも書いたように相手の方の気持ちもあるから、板挟みになるわけです。
しかし、心で何か我慢していることはやっぱりどこかで歪みが出て良くない。
以前の私なら、頭で考えて我慢して我慢して、結果的に急にちゃぶ台をひっくり返すみたいに怒ってしまったり心のシャッターを下ろしてしまったりしてきたわけです。
そういうのは卒業したい。
というわけで愛想よく無愛想になるテクニックを模索中。
とりあえずニコニコ返事はしていても生返事、自分がそのとき本当に集中したいものー読んでいる本とか、お昼休みにワンセグで真剣に見ている朝ドラ「カーネーション」とかーに集中していたいというのを我慢しない、とか。
つまんない話を延々繰り返すオジサンにはこちらから話に無理矢理オチをつけて早めに話を強制終了、とか。
オジサン達に出くわしそうな食べ物屋にはランチに行かない、とか。
(お店で隣り合わせたりしたら最期、お話が始まって飲んだようでも食べたようでもなくなる。オジサン達の話は顔を見てよーく聴いていないと解らないことも多いし、いちいち相槌やリアクションが求められるから。でも食べ物屋も限られていてよく遭ってしまうんだけど。)
本当は「面倒っ!」って思わないのが一番良いんだとは思うんだけど、今はそう思うんだから自分を無理させちゃいけない。
愛想良いマイペースの達人になれたらいいなぁ。
そういうの、出来てる人は出来てるよね。
嫌だな、とちょっとでも思うことは段々にでも敢えてしない、を選択できるようになりたいな。