物には意思があるようだ、と思うと。

使っていないものを死蔵しないでフリーマーケットに出すとか、いらなくなったものを「ありがとう」って言って捨てるのって物への礼儀にかなっているのかもしれない。

そういえば私のところにいつかないものというのがある。あった。
前彼からもらったネックレスとペンダント。
大事に愛用していたのに何でなくなるのか全然わからない。
前の前の彼がくれたドレスウオッチなんて、横断歩道を走って渡ったら手からすっ飛んでいって異空間に消えて、それっきり。
象徴的ですらあった。
大事にしていたのになくなるってなんだろう。
なくならないように使わないでしまっておけばよかったのだろうか。
本当にその人にも、その人にかかわるものにも縁がなかったんだなぁ~、と笑ってしまう。


今、車のことが気になっている。
先月、中古だが自動車を新しくした。
私の買えるような値段のものだから外見も内装もボロボロだが、とりあえずよく走る。
この車は大事にしてやろう、と思う。
私は車をピカピカにみがいて少しの傷もつけないようにするタイプが苦手で、そういう人達への苦手意識がことさらに自分の車を洗車しなかったり、「車って移動のための道具で、走ればいいじゃない?」といった乱暴な扱いにつながっていたが、今度は思い直した。
縁あって来てくれたものだし、(中古だからさらにそう思う)
しかも命にかかわる道具でもあるのだ。

できる範囲でしかないが、せいぜい気持ちだけでも可愛がって感謝してやろうと思う。
それだけで事故る率が変わると思う。


よく言われるようにお金ちゃんも可愛がって愛すると良いと言うのも本当に本当だろうね。