よくお世話になっている美術館の学芸員さんから、あるアメリカの陶芸家のメールアドレスを知っていたら教えてほしいとメールが来た。
その作家さんは、私がアメリカで1年ゲスト作家で滞在させてくれていた大学の陶芸の教授で、もちろん私は散々お世話になっている。

と・こ・ろ・が。

前のパソコンを壊し、前に使っていたメールアカウントも変えた結果自分でもその作家さんのアドレスがわからなくなっていた。

昔の海外にいた頃の資料がなんとなく集めてある棚を総ざらえして、結局滞在した大学のHP内で彼の名前を検索して、やっとアドレス判明、どうにか少しは学芸員さんのお役に立てた。


探していて、自分で情けないやら申し訳ないやら。
なんでお世話になった有名作家のアドレス管理くらいしてないかなぁ。
事務的能力の無さ、整理整頓ができないこと、に加えて人としてちょっと問題あると思った。

私ってさぁ、8箇所もアメリカのプログラムに行っていたくせに、(ほかの国を入れれば10箇所も)お世話になった人や知り合いになった人たちにぜんぜんコンタクトとってないんだもん。
プログラムに行く前も、行ってからも、散々お世話になった癖に、その後「日本でちゃんとやってます」とか、全然報告してないんだもん。
繋いだり、感謝したり、表していないんだもん。

作家としても・だけど、人としてそれじゃあ良くないよね。

英語が実は苦手で英語のコミュニケーションが苦痛だとか・
プログラムが終わったら、いつも帰国直後からただの無職の中年に戻ってしまって生活苦に直面して心も体も余裕がなくなるとか・
いつも視野が狭くて目の前の予定で頭がいっぱいとか・
言い訳はあるんだけど。

結構な量のファイルや資料を見直していて、自分ってこんなに色々な所に出かけて行って制作したなんて、と変な感慨を持った。
もしかしたら、きちんと繋ぐ努力をしていたら、もっと広い世界への可能性を、私の上の人や後ろの人たちは用意してくれたのかもしれないのに。
自分が根性なしで機会を生かせなかったら、ごめんなさい、と申し訳ない気分になっちゃった。


でも。


でもね、ごめん。(って誰に謝ってるのかって?「上の人」かな。)
私はこうやって日本で、自分の場所で、毎日食べるものや体に気を使って、畑や庭の世話をして、落ち着いて生活しながら、「ささやかだけどよい作品」を作りたいのよ。
厳寒のモンタナから灼熱のアリゾナまで渡り歩いても、自分の作品は自分の内側からしか出てこないのが、私という作家だったんだよね。
人と社交をするよりも、自分に埋没して、その中から出てくるもので勝負したいんだよね。
今の私の、閉じているけど自分にしっかり向き合った生活が、好きなんだよね。
世界中に出て行くのは私の作品に任せればいいんだよね。


長々書いたけど、結論。
やっぱり、自分に似合わないことはしなくていい。
無理はしなくていい。
そういう似合わない無理より、いい作品を作ることに力を注ぐよ。


で・今度の個展の時は事後報告でいいから日本の外の知り合いにもご報告をすればいいじゃないか。