前の記事の続き、2010年3月にうけた「倍音ボイスワーク」体験の後半です。

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最後の仕上げとして「カッシーニのアベ・マリア」なる曲のサビのところだけを立って歌う。体は適当に動かしたり揺すってよい。
一応楽譜とナビゲーターさんの独唱あり、だったが私は知らない曲なので探りながら歌う。
「10km先にいる好きな人に届けるつもりで」「頭の上の宇宙を意識して」「足元の地球を感じながら」「今までの自分をつつんであげる感じで」「これからの自分を思いながら」。
ナビゲーターさんから色々な意識の方向の提示があり、一度歌うごとにどんな感じがしたか、を言語化する。
実は今まで挙げてきたワークの全て、その都度「どんな感じだったか?」訊かれる。
配られたお水はおもてなしってわけでなく、ワークをして自分や部屋の「波動」が変わって、結果お水の味も変わるというのを体験するために時々指示されたタイミングで飲むために配られている。

「アベ・マリア」に話を戻すと、私は「宇宙を思って」の時にあやうく泣きそうになっちゃってちとヤバかったりした。
特筆すべき不思議体験だったのは体を少し揺らしながら「アベ・マリア」を何回か歌っているうちに腰から背骨がゴキゴキっと凄い音をたてて動いたこと。
どうやら体がゆるんでゆるんで、体の歪みを自分の感覚で調整したらしい。
これは自分ながらびっくりしてしまった。


と・いうワークショップで、これは「声の《みてくれ》」をどうこういじるというものでなく、「自分の声の波動で自分の体を調整しましょう」というものでした。
よって、私の唄三線の助けに直接なったかというと、それほど関係なかった。(笑)
しかしながらそれよりもっと根本的で大切な、「健康と自分のエナジー」というものに大きな効果がありました。

実は膀胱炎はなかなか治らない上、同業者の気が乗らない飲み会で自分の社会性の無さにぺちゃんこになった挙句、月曜日に私は「起きられなく」なってしまっていた。
体が動かしたくてもなかなか動かない。腰は痛むし熱っぽいし自分を叱りつけても何にもできない。
立とうとしても紐が切れたマリオネットみたいに潰れてしまう。
自分が頑張らないと今の状況を何も打破できないのに、何も出来ない・エナジーが湧かない。
周りに鬱病の人が増えてきたし、自分は治療で生理止めていて更年期状態だし、頭を「更年期鬱?」の字が行ったり来たりした。ちょっと焦った。
月曜日はもうあきらめて寝て、火曜日には少し体が動いたので倍音ワークに行ったってわけです。

私は単純(この字、気が付けば良い感じな漢字だ)だからか、合っていたからか、よほど弱っていたからかー効いた。
体をどうこうしようと思って行ったわけじゃなかったのに、見事に復活して帰って来た。
あんまりにも復活したから帰りがけにマイミク某と呑んだ。(笑)

音に言霊が宿るとか・波動がお水の味を変えるとか・そう云うのは私にはよく解らない事だけれど、声や音がバイブレーションで、そのバイブレーションが全細胞に働きかけてくれる感覚は体感して納得した。
大袈裟でなく一生使えるテクニックを学んだ、と思った。

と、いうわけで私は今「おんころころせんだりまとーぎそわかー」などと唱いながら腰を回したり「えーるかーりーむおーむぅ」などと唱いながら猫の伸びポーズをしたり「いーろはにほーへとぉ~♪」と歌いながら体をくねくねさせている。
勿論まだ3日だから腰も股関節も痛いけど、痛くなくなる予感がする。
何よりまたいつもの自分に戻ってこられたのが嬉しいし、今度また落ち込みの泥沼にはまりかかっても脱出のテクニックを覚えたのは大きな安心になった。

で、やっぱり自分の腰痛って意識がきゅーっとなってガチガチで、駄目な自分を受け止めてないで責めたり焦ったりしてるからなんだなあ、と「体は心」をまたしても思い知ったのでした。



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まぁその後マントラを唱えながら風呂に入る、とかはしばらくやって居ていつの間にかやめたんだけどね。(笑)
「いろは」に勝手に節をつけて歌うのは時々今もやっています。
実はこのワークで一番気持ちよかったのは、導入部の「みんなの名前を呼び合う」だった。
ブルガリアン・ボイスを生で聞いているみたいな、細胞からほぐれていくみたいな、自分の名前が浄化されるような、祝福されているような、いい気持ちだったよ。

このワークショップ、大本の主催者の男性が脳梗塞か何かになられ一時中断、私が行ったときはお弟子さんの女性がガイドをされた。
最近開催が告知されていないけど、どこかできっと細々続いていると思うので、また行きたい。


でもさあ、1年半前の私って身体はガタガタ、気持ちは萎縮しまくっていたんだね。
そうなってるな、という意識はあってもなかなか変えられなかったみたいだね。
今はかなりほどけて生きられているので、そういう変化を喜ぶとともに、
ガチガチだった過去の自分をねぎらいたいと思う。