私は2万円くらいまでだったら、他人様の展示に行って器を購入する事があります。
雑器といわれる日常使いの器を作る作家さんからも、造形的な仕事をしている人が造形的な展示の横っちょでちょろっと売っている器も、気に入れば買う。
(造形作品も、3万円くらいまでなら、欲しかったら買う。それ以上の価格はとてもまだ買えない。でもいつか買えるようになりたい。)

そういう器を混ぜこぜに使いながら呑んだくれていての酔っ払いの呟き。

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雑器の作家さんの器を使って飲み食いしている。好きで気に入って買ったものだから当然気に入っているわけだが、「手早く省手間に、しかしその中で見栄え良く」作られているなぁ、と感じる。一球入魂ってわけじゃないのが物足りないといえば物足りない。

造形も作る作家さんの器でも飲み食いしているが、器としての出来不出来という事を越えて、やっぱり追っている世界が違う、というのは感じる。器として使い良いかは別なんだけど、伝わってくる心意気が違う。まぁ、お値段も違う。(笑)

器の作家さんの器は使い良いけどへりくだってるという感じで、生活の邪魔にはならないけど、唯一無比って感じじゃない。造形もする作家さんの器っていうのは使いにくいし高いし、何で買っちまったのかな、とも思うけど使っていると「美術品」を使ってる気分にやっぱりなるんだよね。やっぱ心意気が違う。

器の作家さん、これ読んで嫌な気分したらごめん。器の作家さんから1万円以上の作品を買うことが稀だからそう思うのかもしれない。

でも価格じゃないんだよ。器の作家さんって「これならいくらだからこの手間しかかけられない」って発想ない?それがいいか悪いかという問題じゃなく、だからそういうもの・消費されてしまうもの、が出来てるってことはないですかね、という酔っ払いの独り言。