3月後半から、TV番組への協力で明治の超絶技巧の名工 宮川香山の作品を拙いながら再制作して追体験させてもらいました。
そして先日兵庫県立陶芸美術館で故・三代徳田八十吉の回顧展に行き、釉の宝石ともいえる美しい作品群に生で接してきました。
この領域まで求めて欲しい。
こちらがわに来て欲しい。
そう促されている、と感じました。
余りにもタイプの違う作家達だから、私は私で別な表現をしていくのだと思う。
でも、「目指すのは『この領域』だからね♪」と招かれたのを感じるわけです。
何て言ったらいいのかな、今まではあった香山や八十吉の作品との壁がなくなった。
これは昔の偉い陶工が作った、これは一昨年亡くなった人間国宝が作った、大好きで素晴らしいけど自分とは住む世界が違う、でなくて
自分もここまでのものを作るのだ、作って欲しいと誰が後押ししているのだ、と自分の立っている地点からあの領域までが道の長さはさておいて繋がっている感覚。
もうさぁ、売れる売れないとか 有名になるとかなんとか そういう次元の話とちゃうですよ。
目指すのはそんな次元じゃないですよ。
(今までもたいして目指して来なかったけど気にしないといけないのかと思っちゃってたのね。あんまりみんなが売れない私を心配して色々「助言」くれるし。(笑))
招かれているような、あそこに帰るんだ、という涙が出るような希求する気分さえ感じます。
これがいわゆるトワイスボーン効果ってやつでしょうか。(笑)
「トワイスボーン」についてはぼちぼち書きます。
そして先日兵庫県立陶芸美術館で故・三代徳田八十吉の回顧展に行き、釉の宝石ともいえる美しい作品群に生で接してきました。
この領域まで求めて欲しい。
こちらがわに来て欲しい。
そう促されている、と感じました。
余りにもタイプの違う作家達だから、私は私で別な表現をしていくのだと思う。
でも、「目指すのは『この領域』だからね♪」と招かれたのを感じるわけです。
何て言ったらいいのかな、今まではあった香山や八十吉の作品との壁がなくなった。
これは昔の偉い陶工が作った、これは一昨年亡くなった人間国宝が作った、大好きで素晴らしいけど自分とは住む世界が違う、でなくて
自分もここまでのものを作るのだ、作って欲しいと誰が後押ししているのだ、と自分の立っている地点からあの領域までが道の長さはさておいて繋がっている感覚。
もうさぁ、売れる売れないとか 有名になるとかなんとか そういう次元の話とちゃうですよ。
目指すのはそんな次元じゃないですよ。
(今までもたいして目指して来なかったけど気にしないといけないのかと思っちゃってたのね。あんまりみんなが売れない私を心配して色々「助言」くれるし。(笑))
招かれているような、あそこに帰るんだ、という涙が出るような希求する気分さえ感じます。
これがいわゆるトワイスボーン効果ってやつでしょうか。(笑)
「トワイスボーン」についてはぼちぼち書きます。