さすがに女友達も既婚者が増えた今日この頃。
仕事の陶芸教室でもたくさん出会うオクサマ達と接していて、自分と決定的に違う、と思う事を発見した。

人に頼る、人に頼める、人を使える。

ちょっと自分の不得意そうな分野や面倒な事はなにかにつけて 「主人にしてもらうわ」「ダンナにやらそう」とか言う。
陶芸教室の生徒さんだけでなく美術系の友人達も頻繁に言う。


これ、責めていたり批判しているのではなくて、単純に自分には無い発想と態度なんで、そういう言葉を聞くとなんか非常に新鮮なんである。

で、前は「頼れる人が身近にいていいわね」と思っていたんだけど。

これは実は逆で、平気で人に頼れたり頼めたりできる他者に対する親和性みたいなもんがあるから、ちゃんとパートナーをみつけられたのかもな、と思いついた。
そう思って思い出してみると、みんな結構ズケっと遠慮なく、スパっと人に頼んだり出来ないことを振ったりしていた。
美術系の友人達も自分の専門分野のことですら人に手助けを頼んだりアッサリとできていた。

なんか、なるほど・と思った。

私がファインアート畑にいるのは高校時代に「食えないからデザイン系に行くのが得策」とアドバイスされても、デザインの仕事が「チーム」の仕事であるから恐れをなして絶対無理!と突っぱねていたのだった。
人に気兼ねなく1人でとことんやれるから絵画や手芸が好きで、そこに自分がもっとも苦手な「人と関わる」「人と協調する」が入るなんて卒倒しそうに嫌だった。
人と協力したり頼まれたりはまだしも出来たが、それも表面的な事に限ってで、自分の心からのアクティビティである「ものをつくる」事ではとてもそんな我慢や遠慮は出来ないと思った。
さらに人にものを頼むなんて死んじゃいそうに怖かった。誇張じゃなく、怖かった。

ところが大学で陶芸をやるハメになったら、同じ窯や釉薬をシェアしなきゃならなかったり、同じスタジオで四六時中制作スペースを共用しなきゃならなかったり、大学を出たら生活のために学生時代には考えられなかった接客業で生計をたてたり、

気がつけば「5つの強み」に「社交性」と「コミュニケーション」が入るという、高校時代には夢想だにできなかった自分になっちゃったわけですが。

でも根本的にまだ何かひとりで抱え込んでしまうし、人にものを頼むのは何回も頭の中でシミュレーションして、不必要に大袈裟な丁寧語になったりする。
(最近ようやく人に親切にされるのを恐縮したり借りを感じたりだけはしなくなった。)

人に甘えられる、助けを求められる、優しくされるのをちゃんと感謝して受け止める。

ちょっとづつでいいからできるようになりたい。

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そういえば学生の頃、泊まりなのにコンタクトのホルダーを忘れてきて「わかった~一晩コンタクトしてる~!!」と強がった私に学校の近くに住んでいる男の子がホルダーと保存液を持ってきてくれたことがあった。
そう仲良くもして無かった子なのでビックリして遠慮しまくったら

「あいっかわらず優しくされ慣れてねぇなぁ!!」

と苦笑された。

その男の子は作品はとても魅力的でも貧乏でいい加減で無駄に強がりで人のものを盗る癖まであって、美人の彼女がいるのにたくさん他にも「彼女じゃない彼女」を作っていたりしている子だったけど、
そのときなんとなくその子がモテるのはわかった気がした。


その頃に比べると私は随分人に優しくしてもらうのが平気になったんだよ、A君。(^^ゞ