最近どうも自分が自分が「純ちゃん」だった頃の話を思い出してしまう。
今、私が着ているカーディガンはレンガ色の地に卵色・白・こげ茶で編みこみが規則的に入ったもので、20歳位のときに近所の婦人服の店で気に入って買った物だ。
さすがに洗濯で縮んでしまったので家着になっているが純毛で暖かく、いまだによく似合うので愛用している。
これを買ってきた時の母の反応は忘れられない。
母は買い物をしてきた私を見咎めて何を買ってきたの?と問い、このカーディガンを見せたら
「・・・・なんで『そんな色』の服買ったの??」と疑るような探るような不機嫌な顔をしながら言ったのだった。
「、、、、!気に入ったし似合うし買える値段だったからよ」とやっとのことで言ったが、膨らんだ風船に針を刺されるような気分は、慣れていたとはいえ忘れられない。
子供の頃、自分に似ていない姉のお下がりをいつも着させられていた。
似ていない姉の服は私には壊滅的にいつも似合わず、私はいつも不恰好だった。
母も私に似ていなかった。
似ていない母がたまに買ってくれる服は母自身の好みで、それもいつも壊滅的に似合わなかった。
母に似ていないくせに、母のコンプレックスである色黒であることや口が大きいところは受け継いでしまい、母に「アンタは色が黒くて口が大きくて本当にかわいそうねぇ~(はぁぁ)」「そんなに色が黒くちゃなにも似合わない」と事あるごとにいわれ、ネガティブな刷りこみとともにカーキと灰色の服ばかり着させられた。
ニキビだらけの顔で瓶底眼鏡をかけて似合わない服を着て、私は地味で不恰好な私に絶望しながら慣れた。
高校を卒業して自分で働き始めて自分のお金で服を買えるようになった頃に「美人」の友達たちと話をしてきて気がついた。
「美人」といわれる人たちがどれほど自分の「美」ために努力を重ね、投資をしているか。
もとが良い「美人」の皆さんだって努力しているのに、自分は全く努力したことがなかった。
(よく後で考えるとそういう努力や興味の芽は巧妙に摘まれていたからだけど)
人生で1回ぐらいちゃんとその方面で努力してから、諦めよう、と思った。
最初は店員が絶対近寄ってこないような地味な安物を売る店で、こそこそしながら服を買った。
駅のホームで見知らぬ女の子達に「よっくあんな似合わないカッコできるわねえ!!」といわれたり、
「さ~いきんなんで急に格好が変ってきたのぉぉ?フフン」と姉に馬鹿にされたりしながら、地味に『戦い』続けた。
初めて「たこさんって美人だよね」と言ってくれた男の子の事を
「そこまで酷い冗談は言わなくていいと思う!!」と本気で怒ってしまったりもしたが、とにかく地味に戦い続けて来た。
20年以上経っていまや母は私に洋服や着物のコーディネイトを仰ぐようになった。
「きょうだいのうちで一番顔立ちが良い」といい始めた。
、、、、、、お母さん・人の美醜は「顔立ち」じゃなくて、「顔つき」なんですよ。
この私の今の顔は私が頑張って人生を切り開きながら自分で獲得した「顔つき」「面構え」なんですよ。
お洋服のセンスは、自分や人のどこに魅力がありどこを引き立てればいいか、「悪いところでなく良いところを見よう」という私の闘いの中から培われたものなんですよ。
自分を可愛がることがだいぶ楽になってきましたが、楽になる頃には私は白髪染めを使うほどの歳になってしまいましたよ。
自動的に与えられるのでなく自分が自覚して掴み取ったものの大切さ、それを掴み取る強さを鍛えていただいたこと、については感謝をしています。
産んでくれこと・育ててくれたことに対する恩はいつも感じているし、戦うこと、自分を見つめなおして再構築する中で培われた強さをいただけたということにも感謝している、得がたい体験でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
でも、こんな嫌な思い出はないにこしたことはない・と思うよ。
私は本当はこのカーディガンを特別な思い出なんて無しにただ、「好きなカーディガン」として着たかったよ。
今、私が着ているカーディガンはレンガ色の地に卵色・白・こげ茶で編みこみが規則的に入ったもので、20歳位のときに近所の婦人服の店で気に入って買った物だ。
さすがに洗濯で縮んでしまったので家着になっているが純毛で暖かく、いまだによく似合うので愛用している。
これを買ってきた時の母の反応は忘れられない。
母は買い物をしてきた私を見咎めて何を買ってきたの?と問い、このカーディガンを見せたら
「・・・・なんで『そんな色』の服買ったの??」と疑るような探るような不機嫌な顔をしながら言ったのだった。
「、、、、!気に入ったし似合うし買える値段だったからよ」とやっとのことで言ったが、膨らんだ風船に針を刺されるような気分は、慣れていたとはいえ忘れられない。
子供の頃、自分に似ていない姉のお下がりをいつも着させられていた。
似ていない姉の服は私には壊滅的にいつも似合わず、私はいつも不恰好だった。
母も私に似ていなかった。
似ていない母がたまに買ってくれる服は母自身の好みで、それもいつも壊滅的に似合わなかった。
母に似ていないくせに、母のコンプレックスである色黒であることや口が大きいところは受け継いでしまい、母に「アンタは色が黒くて口が大きくて本当にかわいそうねぇ~(はぁぁ)」「そんなに色が黒くちゃなにも似合わない」と事あるごとにいわれ、ネガティブな刷りこみとともにカーキと灰色の服ばかり着させられた。
ニキビだらけの顔で瓶底眼鏡をかけて似合わない服を着て、私は地味で不恰好な私に絶望しながら慣れた。
高校を卒業して自分で働き始めて自分のお金で服を買えるようになった頃に「美人」の友達たちと話をしてきて気がついた。
「美人」といわれる人たちがどれほど自分の「美」ために努力を重ね、投資をしているか。
もとが良い「美人」の皆さんだって努力しているのに、自分は全く努力したことがなかった。
(よく後で考えるとそういう努力や興味の芽は巧妙に摘まれていたからだけど)
人生で1回ぐらいちゃんとその方面で努力してから、諦めよう、と思った。
最初は店員が絶対近寄ってこないような地味な安物を売る店で、こそこそしながら服を買った。
駅のホームで見知らぬ女の子達に「よっくあんな似合わないカッコできるわねえ!!」といわれたり、
「さ~いきんなんで急に格好が変ってきたのぉぉ?フフン」と姉に馬鹿にされたりしながら、地味に『戦い』続けた。
初めて「たこさんって美人だよね」と言ってくれた男の子の事を
「そこまで酷い冗談は言わなくていいと思う!!」と本気で怒ってしまったりもしたが、とにかく地味に戦い続けて来た。
20年以上経っていまや母は私に洋服や着物のコーディネイトを仰ぐようになった。
「きょうだいのうちで一番顔立ちが良い」といい始めた。
、、、、、、お母さん・人の美醜は「顔立ち」じゃなくて、「顔つき」なんですよ。
この私の今の顔は私が頑張って人生を切り開きながら自分で獲得した「顔つき」「面構え」なんですよ。
お洋服のセンスは、自分や人のどこに魅力がありどこを引き立てればいいか、「悪いところでなく良いところを見よう」という私の闘いの中から培われたものなんですよ。
自分を可愛がることがだいぶ楽になってきましたが、楽になる頃には私は白髪染めを使うほどの歳になってしまいましたよ。
自動的に与えられるのでなく自分が自覚して掴み取ったものの大切さ、それを掴み取る強さを鍛えていただいたこと、については感謝をしています。
産んでくれこと・育ててくれたことに対する恩はいつも感じているし、戦うこと、自分を見つめなおして再構築する中で培われた強さをいただけたということにも感謝している、得がたい体験でした。
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でも、こんな嫌な思い出はないにこしたことはない・と思うよ。
私は本当はこのカーディガンを特別な思い出なんて無しにただ、「好きなカーディガン」として着たかったよ。