ソウルの街の一角。
暗闇の中に赤い瞳が光る。
コツ・・コツ・・
近付く足音に心臓が跳ね上がるが、その姿を見て、さらに早くなる鼓動。
そして声を聞いた途端、魂を吸い取られる・・
「今宵・・あなたの・・・欲しい。」
「えっ?血って・・」
「そう血よ。」
「血がどうかしたの?」
当直の合間。
ウンスは疲れた体を休めようと、院内のカフェを訪れていた。
そこで同じく夜勤休憩に来ていた看護師達の話を小耳に挟む。
「噂なんですが、最近、ソウルの街に・・」
「きゃあ!?吸血鬼!?」
若い看護師達がワザとらしい悲鳴を上げる。
「そうなの、それもかなりの美形!」
「うそ!?会ってみたい。」
「でしょう?」
「まるで映画みたいね、かっこいい吸血鬼なんて。」
本気にしていないから出来る会話。
噂に尾ひれ・・きっと奇麗な男の存在感を高めるために付いた装飾品だろう。
「それが無理やり襲うんじゃなくて、女性達の方から血を吸って欲しいとお願いしてしまうらしいの。」
「きゃあ~、どれだけ素敵な人なんだろう。」
バカバカしい・・
蚊に刺してくれと腕を差し出すわけ?
「そんなに血が余ってるなら、こっちが欲しいくらいだわ・・」
ウンスは疲れた肩を解す様に腕を振っている。
「ユ先生、また来てるんですか?あの患者さん。」
「まだだけど・・そろそろ来るんじゃない?輸血の準備をしておかなくちゃ。」
「輸血って?」
事情を知らない若い看護師が首を傾げている。
「それがね、ユ先生が当直の夜に必ず来るのよ、貧血男が。」
「貧血?男性がですか?」
「そう、それも一晩だけ特別室を借りて輸血をしていくのよ。」
「特別室って・・一晩でも丸一日分の料金がかかりますよね?うちの病院、それでなくても高いのに、すごいお金持ちなんですね?」
「さあ、名前以外何も分からないのよ、誰とも顔を合わせようとしないし、声すら聞いた事が無いから、知っているのはユ先生だけ、ねえ先生。」
「ええ。」
そう、その男は決まって私の当直に合わせてやって来る。
会いたくなくて当直を代わってもらっても、必ず次の当直には姿を現す。
誰に聞いても、来るのは私の当直の夜だけらしい。
応対に当たる受付の女性も、次の日には顔を忘れてしまう。
だから彼の顔を知っているのは私だけ。
「ねえねえ、どんな人なんですか?ユ先生、貧血男って言うくらいだから、ひ弱な感じ?」
「ちょっと違うわね。」
まるで逆だ。
長身で肩幅の広い、ひ弱と言うには程遠い体格だ。
「吸血鬼もだけど、貧血男にも会ってみたいわ。」
「私も代わって欲しいわ。」
ウンスは大きな溜息を付く。
そしてコーヒーを受け取り、椅子に腰を下ろした瞬間。
「ユ先生。」
一人の看護師がウンスを探しにカフェに姿を見せる。
「もう?」
「はい、お願いします。」
やれやれと、ウンスは座ったばかりの椅子から立ち上がった。
「ユ先生、貧血男ですか?」
「らしいわ。」
ウンスは一口コーヒーを飲むと、カフェの出口に歩き出す。
私も会ってみたい。
お手伝いしますよ、と言う彼女達の声を無視して自分の仕事場に戻る。
いつもの事だ。
夜勤の看護師達も、自分が向かう場所を気にする様子もない。
夜の病棟で唯一明かりが灯るナースステーションの前を通り、暗闇の廊下を歩く。
「節電し過ぎじゃない・・」
いくら消灯後でも、いつ患者が急変するか分からない。
なのに病室に向かう廊下が、足元を照らす非常灯だけとは心許ない。
急変患者が出たら、看護師達はまず、灯りのスイッチを入れる作業から始める訳だ。
「もう、これは改善するべきね・・・」
一通りの苦情を頭の中で整理し終えるころ、彼女は一際大きな扉の前に立った。
「よし。」
一呼吸おいて扉に手を掛ける。
それほどこの患者との対面は覚悟がいるのだ。
心の準備、いや覚悟を決めなければ、とても無事にこの部屋から出ることは出来ない。
ドクン、ドクン。
心臓の鼓動が激しくなる。
「ウンス、しっかり。」
そう言い聞かせて手に力を込めた。
「チェ・ヨンさん、入りますよ。」
そして、どの部屋より深い闇の中に足を踏み入れた。
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