カラダは欲望の餓えに変質する。
人間は無駄な事ができないようにできていて、男らしいカラダになるためにバカみたいに飯を食べたところで豚みたいに肥え太るだけだ。抱きたい女がいる時や肉体の発達が必要とされるときに飢えたカラダに腹が自然と空く時に必要なだけ食べればいい。
体は理想ではなく、必要に駆られて進化する。
- 9割を占める動物的なヒト
世界には数多くの人が居て、競い合うにはあまりに競合者が多すぎるように見える。ただ、世界の9割は自立した責任を負えない依存者であり、残りの1割にあたる精神及び動物的ヒトが法律に認められた精神的人格を駆使して動物的ヒトの生活を扶養している。
つまり、精神的なヒトとしての自立を経た人間は全体からすれば少なく、一人が2~3人を扶養しないと辻褄が合わない程に競合相手は少ない状態にある。また、動物的ヒト同士がやむを得ずに結ばれるコトもあるが、結婚していない限りは自由恋愛のもとで簡単に寝取れられるほどに結び付きは緩い。
ならば、替えが効かないヒトとして異性を扶養した方が、異性に依存して雑に扱われるより気が楽だって分かるだろう。寝取られないように結婚するなんて迫られた生き方は正直に依存と何ら変わりがないし、緊張感を伴わない異性との繋がりに伴侶は年を経るにつれてどんどん汚くなっていく。
反対に、異性を抱くために綺麗でいなければならない状態であれば年を経るにつれて男女問わずヒトは洗練され美しくなっていく。その過程で男であれば筋肉が身につき男性的なカラダと思考を身につけていき、女であれば必要な所に肉がつき曲線的なラインが自然と発達して女性的なカラダと思考を伴っていく。
- 老化と成長
性的経験のたびにヒトは少しばかりの進化または退化をして若返りまた年を取ってゆく。
その過程が複雑であるほどに人はセックスにのめり込み、思い出浸りながら快感を噛みしめる。だからこそ、思い出づくりの時点から愛撫は始まっているし、それに応じて相手に見合う異性として変化しようと本能が作用する。特に女はこの傾向が強く男の趣味や嗜好に感化されることが多い。
つまり、性欲処理ばりに短期間でセックスに耽るほど変化のスパンは短くなり、大して変化も伴わない代謝の増進に排泄が追い付かず老廃物が蓄積し、また代謝のための養分として既存の筋肉や良質な脂肪を使用して文字通り身が削られる事で老化が進行していく。
いわば、絶頂に達したりエロに触れたりして性欲が刺激される時にカラダは変化を受け止めるようにホルモンを分泌するため、実際に大好きな異性との関わりではない限りはエロに触れるコトはオススメしない。
どれだけ正当化しようが消化するべき思い出の無いセックスは「誰かのために成長したい」「見合うように変わりたい」気持ちが伴わない為ひとりよがりで自閉的な性格をもたらすし、なにより老化以上のメリットをもたらす変化が無いため結局は損してる事は明らかだろう。本当に運が悪くなる。
- 残りの1割になれるかどうか
精神及び動物的ヒトをもっとわかりやすく言い砕くなら、信用能力を伴い性的魅力を有するヒトだと言える。
信用能力とは社会に対して責任を負うスベを知って現に責任を負っている状態を示しうる事で証明できるモノで、金を持っている事や会社を持っている事であったり、社会的に成熟してくるとコミュニケーションが面白いとか社会的活動の際に動じずに赤の他人と関係を構築できる(余裕がある)状態にこれを見いだして関係を設けたいのかを判断する。
ヒトは打算的な本能に自分にメリットが無い関係やデメリットをもたらす関係にいちいち時間をかけていられるほどの余裕は無く、まして性別による生理的な反応に時間をかけて対処する必要がある女にとって、非情だとも捉えられる関係の切り方は生きるために必要な判断でもあるため、それにも構わずにしつこく接すれば接するほどに女を苦しめてしまう。
そのため、性的な魅力を身につけると同時に社会的価値を明らかにするために努力をしなければ、金のかかる美容も一銭の得にもならない自己満足に変わらないまま単純な浪費として計上されてしまう。
これらの価値は相乗して価値となるのだからどちらかが小数点以下の場合は「金を持ってるだけのおっさん」だったり「見た目がいいだけの無能」だとか嫉妬や中傷を正当化させて悪い評判がひとりでに周囲へ広がっていたなんてことになりかねないのだ。
つまり、残りの1割になるという事は魅力ゆえに否応なく注目を受けいれざるを得ない状態になるという事でもある。ゆえに、完璧な状態を保つために努力をしていて現に認められている状態であってはじめて、少しだけ欠点があってもそれがギャップとして魅力として認識されるようなことが起こる。
依存していたい9割のヒトの憧れであるために努力を惜しまずに誰も追いつけないほどの努力をする事、信用や権威に惹かれた人たちを利用して得られる利益の誘惑に耐えて期待に応える事は精神的に擦り切れるほどのストレスとなるが改善できる苦痛を前に人は理由を見いだして馴れることができる。
そう、気高さの問題だ。