ロシアのエカチェリーナ2世がその権力でかき集めた美術館が京都にやって来た。
平日にも関わらず大勢の人が押し寄せる。紅葉とセットで観光した人が多いのだろうか。
作品紹介の音声ガイド、普段はこれに頼らないがナビゲーターが杏ちゃんとあっては話が違う。
彼女の声が魅力的であることはPODCASTで十分承知、見識もある。500円でレンタル。
ちなみにエルミタージュは世界三大美術館の一つであることを初めて知った。
他の2つはフランスのルーブル美術館、アメリカのメトロポリタン美術館。
大エルミタージュ美術展は歴史を追う形で進んでいく。
第1章 16世紀 ルネサンス:人間の世紀 16点
「祝福するキリスト」の水晶珠の透明度の高さに驚く。
「エジプト逃避途上の休息と聖ユスティナ」では全体的に柔和な絵の一部で聖女ユスティナの胸に剣が突き刺さっているのが斬新で印象的。歴史を表現している絵画。
他にも数点、印象深い絵があった。
「キリスト教会の寓意」という絵がなぜかすごく印象に残っている。女性の髪の毛の表現が素晴らしい。
第2章 17世紀 バロック:黄金の世紀 22点
ルーベンスの「虹のある風景」は今回の美術展の目玉の一つ、非常に平和を感じることのできる絵。
動感を持ち合わせた自然の風景は今にも動き出しそう。
黄金期だからこういう牧歌的な絵画が描けたのだろうか。
他に「ウルカヌスの鍛冶場を訪ねるウェヌス」という絵がすごく綺麗。
良い意味でカンヴァスのどこにも隙がない。奥風景まで完璧。
第3章 18世紀 ロココと新古典派:革命の世紀 20点
「ヴィジェ・ルブランの自画像」は今にも絵から飛び出てこちらに来そうなくらいにリアルな微笑み。
「パレルモ港の入口、月夜」はここまでやるかというほど写実されている。どこまでも写真に近い絵画。
以上、ここまで第1~3章はリアルすぎるほどにその型取り、彩り、光の表現が巧みにされていた。
これ以降は抽象画というべきか、どちらかと言うと発想や独自性の世界となる。
第4章 19世紀 ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀 19点
モネの「霧のウォータールー橋」も今回の目玉の一つ。
この手の絵は好みではないが、あのタッチで一枚の絵を完成させてしまうのはすごい。
第5章 20世紀 マティスとその周辺:アヴァンギャルドの世紀 12点
ピカソ「マンドリンを弾く女」、描かれた女性の表情がなんとも言えない険しく哀しく、一方で嬉しくも見えるから不思議な絵だ。
トリを飾るのはチラシにも大きく描かれていたマティスの「赤い部屋(赤のハーモニー)」であった。
一見、大したことないように見えるこの1枚、その大胆な構図と色使いが真髄となり名画へと昇華させている。
(感想)
後半の抽象画は個人的にそこまで惹かれるものではなかった。
美術レベルとして前半に見た重厚で写実的なバロック画に敵うものと到底思えなかったからだ。
しかし、あれほどに完成された作品が輩出された過去を越えていくためには異なる手法に切り替えざるを得なかったのだろうなと思うと何だか納得してしまうし、現代画家たちの苦悩がそこにはあった。
また写真の技術が格段に進んだ現代では、目に飛び込んだ風景をリアルに描くよりもそれをモチーフに個性的な絵画に変身させていくものの方が希少価値が高いと考えるのも真っ当なことだとも思う。
1~3章は一目見るだけでは誰の絵画であるか分類することはできないが、4章以降はそれが可能である気がした。それは画家の個性がより反映されたものが現代画家であるからなのかもしれない。
以上の意味で今回の大エルミタージュ美術展は、美術レベルが圧倒的に高い過去の歴史を堪能した後に現代画家たちが磨いた個性を必死に絵画に投影している苦悩と喜びを味わうことができた。
しかしエルミタージュ美術館には約300万点の作品があり、今回観たのはたったの89点である。
「大」エルミタージュという名称に少しツッコミを入れたくなるところである(笑)
私の人生でロシアに足を運ぶことは無さそうだが(笑)、何かの縁でその地に降り立った日にはエルミタージュを訪れたい。
余談であるが、音声ガイドはやはり重宝した。
美術や音楽に解説は要らない------というのは間違いではない。
しかし、その背景を知ってこそ感じることができる楽しさがあるのもまた事実だと思う。
少なくとも、自分は音声ガイドを欲してしまうレベルであるということだろう。
この歳になるまで、京都市美術館がすぐ近所にあることを何とも思わなかった。
よく考えればこれほどに文化が集結している場所に住んでいることはありがたいことだ。
記念に買った卓上カレンダー。(@1,000)
使用後は一枚一枚ポストカードに使えるところに惹かれた。笑
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