毎年、お盆にはじいちゃんばあちゃんから戦争の話を聞く。
ここ数年は同じ話のリピートだが、そのおかげで毎年この時期には必ず戦争について考えることができる。
老人のボケは全て無駄というだけではないのだ。笑
今日は戦争と歴史について少し書こうと思う。
教育実習でも戦争についてたくさん授業をしたし、
実は戦争について考える授業を1コマだけでもいいからやらせてほしいと提案すべきだったと後悔している。
”過去に盲目な者は現在にも盲目である”
という有名な言葉がある。
高校で世界史の教師が最初の授業で僕らに紹介してくれた言葉でもある。
当時の自分は歴史が好きではなかったのでナニクソと反感の意を抱いたことを覚えている。
今、このことについて考えてみる。
思うに、
歴史が嫌いな人が必ずしも現在国内、広くは世界においての問題に対して関心をもっていないとは言えないだろう。また無理に色々な歴史を勉強する必要もないと思う。
が、
必ず学ばねばならない歴史というものは間違いなくあるだろうし、
そのことに無知であるということはある意味で過去の過ちにフタをする政治家のようだ。
「戦争が起きた時ってもう年十年も前のことでしょ?僕らには関係ないよ。反省しろって言ったって別に自分たちがどーかすることができたわけでもないし。何で昔の人たちの尻拭いをしないといけないんだ?」
「戦争って残酷で怖い。だからそういう映像とか歴史を見たくない。」
そう言う気持ちもすごくわかるし、実際にそう思ったこともある。
おそらく戦争(ここでいう戦争はひとまず太平洋戦争と考える)から時が経つにつれ、また個人主義社会がすすむにつれて益々こういう意見が出てくるんじゃないかと思う。
じゃー過去に目を向ければそれでいいのか。
それは違う。
過去に盲目じゃない人が必ず現在のことに対して真摯に向き合っているかと言えば否だ。
歴史マニアで終わっていてはダメだ。
歴史に確固たる答えなんてない。ないからこそ自分の頭で考えないといけない。
戦争が悪いことだっていうのは誰でも知っている。
なぜ戦争が起きるのか?
戦争の真の実態は?
繰り返さないためには?
自分ひとりだけが考えても意味がないのは百も承知。
でもそれを言っちゃー元も子もない。
自分がしっかり考えてしっかり伝えていくことがこれからは大切になってくるはず。
戦争を体験してない者に戦争を語る資格がないと言われるかもしれない。
確かに僕らは戦争の本当の恐怖を経験したわけではないし、特攻隊を命じられたわけでもない。
でも僕らにはそれらを客観的に見て考える環境があるわけで、
決して語り伝えることに臆してはならないと思う。
何ともまとまりのない話になってしまったが、
年に一度だけもないい。戦争について学び考えてみよう。
どれだけ科学が発展して便利な世の中になろうとこれは消せる過去ではないし、
いかにPeacefulな世界にするかがこれからの人間の真の文明発展の命題だと思う。
<まとめ>
・過去(主に戦争)に目を向け、考え、伝えることこそが真のあるべき姿。
・当事者じゃないから戦争について語れないという考えは古い。戦後65年だぞ。
・平和を考えるには戦争を考えないといけない。
・ピースフルな世界を作っていくことが真の文明発展。