僕はこれまで色んな場所で

色んなテストをし続けてきて

色んなもののデータを取ってきて

その結果今少しだけ

わかることがあるのですが、

それは

 

裾野は広いほうがいいし

地に足ついていたほうがいい

 

ということです。

 

 

 

僕も若いうち、20代の頃は

そんなものはそこまで気にせず

そのときどきの感情や欲望に従って

そのときどきを生きてきたのですが、

今自分が30代半ばになって思うのは

 

人生はまだまだ終わらないし

幸福度も努力や工夫次第で

これからも上がり続けていく

 

ということです。

 

 

 

僕の印象、20代の頃って

言い方は悪いですが

人を踏みつけにしたい人たちに

ことごとく踏みつけにされていた

時期だったなぁと思います。

 

 

 

もちろんそれは

僕自身が未熟で知識も経験もなく

役に立たなかったからというのも

ひとつ事実としてあるんですが、

それとは別に世の中けっこう

 

雰囲気や態度のでかさ、

声の大きさ、その他もろもろで

周りの人を自分の都合のいいように

扱いたがる人も多くいる

 

ということです。

 

 

 

 

 

僕はこういうの、

昔はすごく悩んでいたので

 

なんでこうなんだろう?

自分にはなにが足りないんだろう?

 

とまじめにしっかり考えていたし

徹底的に本気で分析もしたんですが、

結論

 

そもそも論理なんか

知ったこっちゃねぇ、

誰かを踏みにじっていようが

知ったこっちゃねぇ、

とにかく自分が気持ち良ければ

自分が得できればなんでもいい

 

みたいに考えている人種も

世の中それなりにいるんです。

 

 

 

そういう人は別になんにも

大したことは考えてないんです。

 

 

 

なので

 

そこに対して悩んだり迷ったり

どれだけ心を煩わせたとしても

まったくもって意味がない

 

ということが

僕が20代で学んだことかもしれません。

 

 

 

 

 

つまりは

 

DV野郎にすがってちゃダメだよ

すがるから相手はイキるんだよ

 

ということです。

 

 

 

であればすがるのをやめればいいんです。

 

 

 

ここを世の皆さんは

 

常識が~

世間体が~

一般論では~

 

と人を説き伏せたり

自分自身を誤魔化したり

している人も多いのですが、

今細かいことを言うのは控えますが

物事の解像度を上げると

 

この辺の話って全然

従うべき根拠はないよね

 

ということがわかります。

 

 

 

それこそこれは

さっきも言った

 

雰囲気

 

です。

 

 

 

雰囲気みたいな曖昧なものに

別に従わなくたっていいから。笑

(周りの人たちとの調和を図ったり

 協力関係でいるのは大切です💡)

 

 

 

僕はそれより

 

自分が本当に大切にしたいと思えるものを大切にすることのほうが100万倍大事なこと

 

だと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

そして

僕もこうやって多少なりとも

偉そうなことをつらつら

語らせていただいているわけですが

 

僕の言うことを聞け!

僕の言うことを聞いたほうがいい!

 

と声高らかに

叫びたいわけではありません。

 

 

 

自分にとっての

正解や快適を見つけて

それを自分に

採用していくと

QOLは上がるよね

※QOL=人生の質

 

それを目指してみるのは

けっこういいんじゃない?

 

僕はそれをするの

好きだしおすすめだよ^^

 

と言っていきたいのです。

 

 

 

 

だってあんまり

他人が選んできたものを

 

そんなんじゃダメだ!

これにしろ!

 

とか傲慢で言えなくないですか?

 

 

 

なんか昔はそういうの

なし崩し的に許容されていた

部分があるとは思うんですが

そろそろ令和になって

6年が過ぎるわけですし

そういう古い固定観念や枠を

いつまでも持ち続けていても

自分も関わる人たちも

苦しくなっちゃうと思うんです。

 

 

 

 

 

もちろんこれは

自分がそれを望む人が

そうなっていけばいいことだし、

誰かになにかを

強制するような意図はありません。

 

 

 

だけれどそうやって

 

他者への尊重があった上で

自分や他人が楽しくいれて

それぞれが

自分の領域にあるものを

共有し合って楽しめたら

それが一番いいんじゃない?

 

って思うんです。

 

 

 

ちなみにこれはけっこう

綺麗事の部類の話です。

 

 

 

 

 

でも、だから目指すんだよね。

 

 

 

物事100%になんてならないんだからさ。

 

 

 

そういう

 

完璧にはならない、

完成はしないと知りつつ

でもそうなるために

努力する、工夫する

 

のが、その姿勢が

僕は美しいと思っています。

 

 

 

別に仮にそこに辿り着けなくても

 

そこに向かおうとすること自体

 

に価値があるんですよ。

 

 

 

もちろん

 

ガチでそれを獲りにいく

 

意識を持ちながらね。

 

 

 

 

 

というのは若干筋肉論ですが、

まぁでも理想を高く掲げて

損することってなにもないよね。

 

 

 

それで損をするならそれは

 

自分の捉え方に修正点がある

 

ということですから。

 

 

 

 

という、若干暑苦しいことを

語ってしまいましたが

 

想像せずに実現することはない

 

ですし、

 

人は今見えている範囲の自分に落ち着く

 

んです。

 

 

 

であれば

 

今見える範囲を広げる

 

裾野を広げて

高い山をつくって

その位置から物を見る

 

のがいいと思うんです。

 

 

 

ちなみに僕はこの辺に関して

若干オタクというか

人生懸けてるところがあるので

(人生懸けた遊びです笑)

あんまり真面目に

聞きすぎなくてもいいですからね。笑

 

 

 

というかそうやって

 

自分の足元を大事にしよう

 

と思っていたら人に対して

傲慢になんてなれないですから。笑

 

 

 

そんなヒマはないし

そんな無駄を許容できないんです。

 

 

 

だって人生には終わりがあるし、

これから味わうことのできる

コンテンツにも限りがありますからね。

 

 

 

この姿勢はたぶんですけど

 

自分という存在を

めちゃくちゃ大事にする

 

ということと

同義だと僕は思っています。