江南市に行ってきました。
きっかけは最近ラジオで信長の愛妾 吉乃の事を聞いたこと、
そしてそのお墓のある久昌寺が取り壊しがきまり、その前に見ておきたかったからです。
吉乃とは、地元の有力者、生駒氏の一族の娘で、信長に寵愛され、長男信忠、次男信雄、
徳川信康の妻となった徳姫の3人の子供をもうけた女性だが、産後の肥立ちが悪く
29歳の若さで死去したとされています。
江南の歴史を調べてみると、この地には他にも戦国武将の蜂須賀家、前野家、少し離れていますが
堀尾家などがあり、武将の故郷でもあります。
まずは生駒吉乃の故郷から巡ります。
①久昌寺
生駒家の菩提寺で、境内に生駒家のお墓があります、そこに吉乃のお墓もありました、
お墓、建物ともに年代を感じることができます。
お寺の裏側に駐車場があり、そこに止めて見学することができます。
②龍神社
織田信雄の出生地とされています、吉乃の屋敷があったとのことで、ここに信長が足しげく通っていたと思うと
歴史の重みを感じます、今でこそ清州より車で近いですが、当時は馬でもかなり時間がかかり、忙しい身ながら
3人の子供をもうけたことが事実であれば、かなりの愛を感じますね。
③経塚
吉乃が荼毘に付されたところです、MAPをみて探しましが、なかなかわからないところにありました、
最後はグーグルマップのお世話になりました。
そばに吉乃桜が植えられています。
④生駒屋敷跡
今は保育園の敷地の横に碑があります、屋敷のエリア地図がありますが、広大な屋敷(城)になっていたようです。
生駒家は最終的には尾張徳川家に仕えています。
なお先祖は藤原家で奈良の生駒よりこの地に移ってきたそうです
⑤宝頂山墓地
吉乃の兄、と五代、十代の生駒家のお墓があります、立派な五輪塔があります、五代の夫婦は長生きだった
様です(夫96歳)。すごい!
そのほかにも生駒家や久昌寺と関連するお寺がありますので、見どころはたくさんありました。
蜂須賀家
①蜂須賀屋敷跡(宮後城跡)
②蜂須賀家政生誕地
江南駅より北東の方向にあります、どちらも道路沿いに見えますが、近くに車を止められるところがないです。
蜂須賀家は蜂須賀小六が岡崎の矢作橋で秀吉と出会い仕えたとありますが、この地で会っていたという説のほうが
有力です、蜂須賀家は秀頼、家康の時代をうまく乗り越え、最終的に阿波、淡路を収める大名となり、幕末まで存続しました。
前野家
前野家はあまり有名ではないかもしれません、私もある本を読むまで知りませんでした、その本とは「男の一生」という本です、
原作は武功夜話という話で、前野家の子孫が前野家の出来事を記録したもので、戦国時代、特に秀吉の立身出世の様子が
よく記されている物語とされています。
前野将衛門が一代で但馬の国出石などで11万石の大名にまでなったが、秀次事件に連座し息子とともに切腹となり、歴史の表舞台から
消えることとなった、武功夜話では秀吉の命で秀次の補佐役となり、秀吉の命で秀次が失脚し、それに巻き込まれる形となっている。
悲運としか言いようがない。
しかしこの江南の地(もちろん前野町!)で子孫の方(将衛門の兄弟の家系)は存続し、庄屋となって暮らしたそうです、現在もその地で
子孫の方が生活をされています。家紋も入った立派なお屋敷です。
おまけ
①歴史民俗資料館
江南の歴史が分かります、そこのパンフレット歴史ガイドは必須ですので、ここでいただくか、HPからダウンロードすることをオススメします
②曼陀羅時
名刹です、藤の花が有名で藤の季節にはとても賑わうそうです、現在は閑散としていました。
以上 江南の歴史の旅でした。