バングラの鮮烈な思い出の続きを始めます。
バングラ到着1日目は、たしか5時起きでした。
井戸を掘る村までは、首都ダッカから約50kmの距離をバス移動する
のですが、ダッカ市内を抜けるのに1時間以上は掛かるので、毎朝早起き
し朝のラッシュを避けていました。
井戸を掘る村までは、首都ダッカから約50kmの距離をバス移動する
のですが、ダッカ市内を抜けるのに1時間以上は掛かるので、毎朝早起き
し朝のラッシュを避けていました。
初日の朝は睡眠3時間程度、がんばって起き、ホテルで朝食を食べました。
ホテルの朝食は、食パン2枚、卵焼き、それとフルーツ、コーヒの質素な
ものでしたが、これが後で最もおいしい食事であるとは誰もが想像もしてい
ませんでしたが。(話が進むにつれ、理解できます。)
ホテルの朝食は、食パン2枚、卵焼き、それとフルーツ、コーヒの質素な
ものでしたが、これが後で最もおいしい食事であるとは誰もが想像もしてい
ませんでしたが。(話が進むにつれ、理解できます。)
朝食を終えて出発の支度をし、ホテルの玄関に集合。
ホテルの前には大きな川、朝霧で対岸がはっきり見えなかったのですが、
霧が晴れてくると....
霧が晴れてくると....
川の岸に小さな家がところせましと立ち並んでいます。
その家の前の川で水を汲み、水浴び、歯を磨いている人がはっきり、
見え、首都ダッカ都心部でも水道が無い家がある事がその光景を見て
理解できました。
(その川の水は、汚れて悪臭が漂う水でした。)

その家の前の川で水を汲み、水浴び、歯を磨いている人がはっきり、
見え、首都ダッカ都心部でも水道が無い家がある事がその光景を見て
理解できました。
(その川の水は、汚れて悪臭が漂う水でした。)

その後バスが到着。バスに揺られながら、ダッカ市内を横断しました。
ダッカ市内の光景です。




町には高層ビルは無く、2階建ての小さな商店が国道の両側に立ち並び、
車は走っていますが、市民の足は三輪車やバイク、自転車が中心だったと
記憶しています。
とにかく、人は多く活気に満ちた町並が切れること無く続いていると言う
印象が残っています。
車は走っていますが、市民の足は三輪車やバイク、自転車が中心だったと
記憶しています。
とにかく、人は多く活気に満ちた町並が切れること無く続いていると言う
印象が残っています。
国道沿いの商店で売っているものは、バイプや鉄板、自転車屋、バイク屋
などの生活に直結するものが殆どでした。
などの生活に直結するものが殆どでした。
中には"BMW"や”トヨタ”の看板を上げている店もありましたが、
そう多くはありませんでした。
そう多くはありませんでした。
そんな町並みの中を1時間半程度走ったでしょうか、しだいに建物が
無くなり、今にも倒れそうな小屋が立ち並ぶ光景に変り、そして田園
風景になって行きます。
無くなり、今にも倒れそうな小屋が立ち並ぶ光景に変り、そして田園
風景になって行きます。
道も狭く、舗装も無くなり、荒れた道に揺られながら、目的の村(ナラヤ
ンガンジ郡ラプガンジ地区ミアバリ村)に到着。我々の到着を遅しと数十人
の村人が待っていました。


ンガンジ郡ラプガンジ地区ミアバリ村)に到着。我々の到着を遅しと数十人
の村人が待っていました。


村人は人なつっこい性格で、大人も子供も我々ボランティアの傍から離れ
ようとはしません。
一番印象に残っているのは、小さな娘がしっしん(できもの)が出て、何か
良い薬が無いかと相談され、”オロナイン軟膏”を一本差し上げた記憶が
残っています。父親は本当に嬉しそうでした。
ようとはしません。
一番印象に残っているのは、小さな娘がしっしん(できもの)が出て、何か
良い薬が無いかと相談され、”オロナイン軟膏”を一本差し上げた記憶が
残っています。父親は本当に嬉しそうでした。
しかし、それ以外の大人は"たばこ"、子供は"キャンディ"目当てである事が
後に理解できましたが...
後に理解できましたが...
そんなこんだで、村の駐車場から”井戸”と”トイレ”を作る作業場までの
約3kmをボランテァア全員と村民とで一緒に移動を開始。
約3kmをボランテァア全員と村民とで一緒に移動を開始。
途中の川に掛かっていた"橋"を思い荷物を持ちながら、渡るところから
今回のボランティア作業の開始です。

今回のボランティア作業の開始です。

この写真の橋が掛かっている川、はっきり言って"ドブ"です。
でも、この川の水が村民のライフライン。
この川の水で、食事を作り、水浴びをし、歯を磨く、そんな生活が当たり
前の村の生活なのです。
でも、この川の水が村民のライフライン。
この川の水で、食事を作り、水浴びをし、歯を磨く、そんな生活が当たり
前の村の生活なのです。
本日はここまで。