あの人 | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。



1975年、カメラマンアシスタントで新宿1丁目「セブンティワン」管洋志、川仁忍事務所に通っていた。
その隣にあったのが松本徳彦事務所で、そこで当時のアシスタント達が集合した歓迎懇親会。
この中に管洋志、川仁忍さんの先輩にあたる『K2』スタジオ(熊切圭介(現JPS日本写真家協会会長)、木村恵一)の事務所に22才の新人が入ってきた。真面目な青年であるのはおぼえている。

2001年1月に新宿区新大久保駅にて線路に落ちた人を助けようとし、電車に轢かれて死んだカメラマンというニュースがあった。
なぜか、一緒に死んだ韓国人留学生だけがクローズアップされたようだ。なぜ?どうして?

昔のアルバムを引っ張り出して見ていたら「あのひとか」と思った。あの真面目なカメラマン関根史郎さん(享年47才)であった。(右から2番目)


新大久保駅乗客転落事故(しんおおくぼえきじょうきゃくてんらくじこ)は、2001年(平成13年)1月26日(金曜日)の19時14分頃に東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線新大久保駅で発生した鉄道人身障害事故である。

事故概要
山手線新大久保駅で泥酔した男性がプラットホームから線路に転落。その男性を救助しようとして線路に飛び降りた日本人のカメラマンと韓国人留学生が、折から進入してきた電車にはねられ、3人とも死亡した。
人命救助のために自らの命を投げ出したこの件は、美談として日韓両国で大きく報道されるとともに、事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレートが新大久保駅のホームと改札の間の階段に設置された。このプレートには日本語と韓国語で事故の経緯等が記されている。その後、救出を試みた2人の遺族には当時の森喜朗内閣総理大臣より書状が贈られ、警察庁からは警察協力章が授与された。
しかしカメラマンと暮らしていた母親は国や市からの表彰について、近所の知人に対して本当はそっとしておいてほしい、美談であっても息子が死んだ事には変わりがない、と嘆き、事故から数年後に孤独死した。
事故の翌年、今上天皇は死亡した韓国人留学生の両親を招待して慰労した。
最初に転落した男性が駅構内の売店で購入した酒を飲んでいたことが判明し、JR東日本は通勤圏の一部駅構内での酒類の販売を一時取り止めた。
・・・ウィッキペディアより