北カリフォルニア、特にサンフランシスコ近辺はイタリア系移民がワイン作り、魚関係にて影響力があり、そのネットワークは強固で、ドンゲージギルロイ市長やサムボゾ教育委員長たちのお世話があった。
1992年姉妹都市締結のため田子町来町したフリオ・ブルガッツイ村長とエミリオ・ブリオリ(プロロコ)事務局長、マリア・ローサ・ルグリさん、マーディゴ・ローラ・ラガーツエさん、エンマ・ガッテイさん、ルイジ・ボジさん、エンリカ・ロシさんと通訳で同行したアレッサンドロ・ジェルビーニさん。
クレモナ出身のアレッサンドロ・ジェルビーニさんは、東京大学に留学在学中で通訳をかってでていた。
故郷クレモナはモンティチェッリの近くである。このハンサムなイタリア人が将来、有名人になるとは。
『これはイタリア語でなんというの?』と日本語で質問したら『コムセディーチェ イタリアーノ』と教えてくれました。『トルネロ チェッタメンテ イタリア』
クレモナといえばジブリの「耳をすませば」という作品に出てくる中学生を卒業しバイオリンを作る工房に行くというところは当然クレモナです。
【ストラディバリ(Alessandro Stradivari)1680年、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構え、楽器制作者としての名声は若き日より確立されていた。彼の独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮された。ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、音色を締めるためのニスはより色濃くなった。ストラディバリは、ヴァイオリン以外では、ギター、ヴィオラ、チェロ、(少なくとも1台の)ハープを制作した。推定1,100挺の楽器が制作された。現存している楽器は約650挺である。1737年12月18日イタリアのクレモナにて亡くなり、サン・ドメニコのバシリカに埋葬された。その教会は1868年に解体されており、それ以来、ストラディバリの遺骸は失われたままである。】・・以上ウィッキより

よしもとばななのイタリア語翻訳本をだして、ベストセラーに

銀座十字屋のHPよりコピーしました。
『いつも心にイタリアを』A・G・ジェレヴィーニさん 午後のサロン vol.141 2011.10.17 十字屋ホール
イタリアを満喫
「生まれも育ちもクレモナです」とアレッサンドロ・G・ジェレヴィーニさん。
クレモナはミラノにほど近い、北イタリアの歴史ある小さな街です。ローマ時代からの遺跡が数多く残ります。その中心街の広場に面した家で、農業経営をする一族(名家)に生まれ育ちました。
獣医の父の影響でヴェネツィア大学で日本文学を専攻。22年前に来日の折、よしもとばななの小説と出会います。大学の卒論用の予備に『白河夜船』を翻訳した所、幸運な偶然からイタリアで出版され、たちまち大ベストセラーになりました。またヴェネツィア大学では、大好きな谷崎潤一郎の『細雪』の講義で須賀敦子先生と出会います。自分の生まれる前のイタリアについても須賀先生に学びました。
イタリアの食文化を語る時、なんと言ってもパンが美味しい(Buono)の基準だそうです。北イタリアと南イタリアの食文化は違っていて、北はバターを多用し、南にいくほどオリーブ油の量が増えて、味が辛くなる傾向があります。クレモナは内陸のため、川魚も食べますが、古くから肉中心の食生活で、伝統料理を頑固に守ろうとするスローフードの風潮があります。今はグローバリゼーションの世の中で何でもあり。だからこそあえて、多くのイタリア人は地元の食材と家庭の手作りにこだわります。
その他、ピザとピッツァの違い、クレモナ発祥のトッローネ(ヌガー)、好物ヌテラ(へーゼルナッツ入りチョコレートペースト)の説明や、ご自慢のマンマのクレモナ風トマトのコンセルヴァ(トマトソース)のレシピも会場に配られました。
イタリア人の美意識は不便さに耐えても、美しいものを守ろうとする人々の美意識に支えられてきました。
石の文化が残るイタリアですが、街中に暮らすと規制が厳しく、建物の色彩制限、壁の位置さえも自由に変えられません。不便ですが、美しい街が残ったことが誇りだそうです。
川に面したクレモナは、冬は霧が立ち、湿気が多い気候。それがヴァイオリン作りに適しています。かの有名なストラディヴァリ(1644年~1737年)は1,100台ものヴァイオリン、ヴィオラそしてハープも作ったといいます。来年の夏、実家の真ん前にストラディヴァリ博物館ができる予定で、ユネスコがクレモナのヴァイオリン作りの伝統を世界文化遺産にする動きがあるそうです。
美味しいを表す「Buono」(ブオーノ)という形容詞は、人に使った場合は〝人の良い〟〝優しい〟という意味だそうです。ジェレヴィーニさんは常に笑顔を絶やさず、穏やかな語り口で紳士で友好的な、まさにBuonoな方でした。
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最近八戸にも来ていたようです。
http://www.area-hachinohe.jp/blog/archives/3023