







1991年4月には第3回目となる、田子出身高校生短期海外派遣事業。
3人の高校生が4月25日に田子を出て、成田サンノゼ直行便のアメリカン航空で出発した。5月6日に無事帰ってきた。

田子町ではギルロイから青年を招集する単独の事業がスタートした。おそらく日本でもそんな例は少ないと思うが、JETプログラムは文部省からの支援があるが、姉妹都市からの青年招致事業は町の予算組をしなければならないので、いつまで続くはわからなかったが、1990年から日本国、青森県とも『国際化』が叫ばれていた時期であり、必要性を感じていたものであろう。
しかし、もちろん反対意見もあるなかスタートした。
昨年にんにくとべごまつりに来町したガーリックフェスティバル委員長サム・ボゾ氏はギルロイの教育委員会及び郡教育関の職にあった。
その彼に「この事業」のことは根回しをしていた。そしたら、大学を卒業する息子がいるからとのことであった。
その縁にてサムボソ氏の2番目の息子グレッグボゾ君がくることになった。
この田子町独自のプログラムに強力な後援として、文部省のJETプログラムで、ギルロイ市から田子町に一年赴任したゲーリークリフォード君がいた。
田子町独自英語支援としてカリフォルニア州立大学サンルイオビスポ校卒業のグレゴリー・ボゾ君が役場に配属となった。6月3日に歓迎会をした。
6月6日が彼の誕生日だということとJETプログラムで1年間田子町教育委員会にて勤務していたゲーリークリフォード君が来町したので、一緒に
