当時日本からアメリカにはいってきた、アタリ・セガ・ニンテンドーのブームにより家庭での遊び方が変わった、スペースインベイダー、パックマンなど。
まだスティーブ・ジョブズのマッキントッシュが高額にて一般に入っていなかった。もちろんアイビーエムIBMのPCも。
アメリカの若者はボーリング、ビリヤードぐらいだったが、その隅のコーナーに入ってきたゲーム機が増えてきて、アーケードゲーム機がショッピングセンターに入ってきた、そのほとんどが日本製だと確認。スーパーにてバーコードの機械も日本製だ。
1969年型のVWバスをフリーペーパーにて1500ドルで買った、ニューオーリンズから持ってきたといわれた、外観はよかったので買った、あるときタイヤ交換しようと横にジャッキを差し込んで車体をあげようとしたら、上がらず、なぜ?サビでボロボロ。
このVWバスはどこから来たのかと、あらためて調べるととカナダからであった。カナダでは融雪に塩をまくのでボロボロ。
当時は日本車はカローラサニークラスしかはいっていなかった。
※1980年代に入ると今度は自動車・農産物(米・牛肉・オレンジ)が舞台となり、更に1985年にアメリカの対日赤字が500億ドルに達したことをきっかけに、日本の投資・金融・サービス市場の閉鎖性によってアメリカ企業が参入しにくいことが批判され、事実上日米間経済のほとんどの分野で摩擦が生じるようになった。・・ウィッキより
というような話。


