1978年10月LA | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

1978年10月はグレンデールの建築中ハウスのドライウオール工法にて、ジプサムボードを張っていく。
なぜ、すぐに大工のようなことができるのか?
これがアメリカの歴史の中でシアーズという会社のことをみると、ああなるほどと納得いく。
シアーズの歴史・・・『1886年、ミネソタ州でリチャード・ウォーレン・シアーズは、アルヴァ・C・ローバックが事業に加わり、1893年イリノイ州シカゴに「シアーズ・ローバック」(Sears, Roebuck and Company )を設立した。
19世紀末から20世紀初頭のアメリカは農業が中心で、広大な国土に多くの農民が生活していたが、交通手段は主に鉄道や馬・馬車であり、消費者は手間をかけて都市まで行くか、個人商店、行商人から高い値段で商品を買うしかなかった。ここに着目したシアーズは、カタログを郵送して、一括仕入れで安価に商品を提供するダイレクト・マーケティングを推し進めた。
初期のカタログにはやや誇大な宣伝文句とともに「満足していただけなければ返金いたします」といった良心的で誠実な保証がついており、この「満足保証」は後年まで続いた。シアーズのカタログは「消費者の聖書」と呼ばれ、大量に頒布されるカタログは農村で子供の絵本や学習帳の代用に用いられ、最後にはトイレットペーパー代わりに使われるほど身近に親しまれた。また1908年から1940年の間に組立式住宅「シアーズ・モダン・ホーム」を販売、10万棟以上が出荷され、庶民に近代的な住宅を提供した。1908年から1912年には自社ブランドの自動車もカタログ販売した。シアーズの自動車は他社のコピーではなく、操作が簡単であることを売りにしていた。そのほとんどは2人乗りの軽快な自動車だった。自動車本体の販売撤退後もパーツやアクセサリーの販売はもちろん、メンテナンス・サービス業務を引き続きおこなった。
1925年以降、シアーズ・ローバックは人口の都市への流入とモータリゼーションの到来を予見して、都市の郊外に広い駐車場を備えたデパートを開店させた。第二次世界大戦以降はショッピングセンターの中心店舗として全米の都市に出店した。また自社の顧客を対象とした保険業、金融業、不動産業などに進出。1931年には自動車保険業オールステートを開始。オールステートブランドは自動車アクセサリー販売チェーンとなり、また自動車販売にも利用された。1951年に自動車販売を復活させ、1952年モデルとしてカイザー=フレーザー製ヘンリーJをオールステートブランドで販売した。しかしこれも1953年モデルで終了している。1985年にディスカバリー・クレジットカードを開始した。
シアーズは1980年代初頭まで全米第1位の小売業者であった。』途中まで・・・ウィッキペデアより


この手引き書を読んでいく家が建つ。