http://www.staradvertiser.com/specialprojects/2012/inouye/
http://www.news-us.jp/article/308456758.html
Hirasaki National Resource Center
ダニエル・ケン・“ダン”・イノウエ(Daniel Ken "Dan" Inouye、日本名:井上 建(いのうえ けん
【生い立ち [編集]
祖父は福岡県、祖母は広島県の出身で[1]、一家の失火による借金を返済する為に、1899年(明治32年)9月28日に福岡県八女郡横山村(現広川町・八女市)から祖父母の浅吉・モヨとともに渡米した父・兵太郎と母・かめ(旧姓:今永)のもと、1924年(大正13年)に当時アメリカの準州であったハワイのホノルルで生まれる。その後ホノルルの高校を経てハワイの名門大学であるハワイ大学マノア校に進学した。
第442連隊の英雄 [編集]
ハワイ大学在学中の1941年12月に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦した後は日系アメリカ人として人種差別待遇を受けるものの、アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦う。
イタリアにおけるドイツ国防軍との戦いにおいて、1945年4月21日に右腕を失い、1年8ヶ月に亘って陸軍病院に入院したものの、多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国し、日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられる。1947年に陸軍大尉として名誉除隊した。右腕を失ったことにより、当初目指していた医学の道をあきらめた。ハワイ大学に復学し1950年に同大学を政治学BA Government and Economicsを得て卒業した。ジョージ・ワシントン大学の法務大学院に進学し、1953年にJ.D.を授与された。 1954年に退役軍人のElton Sakamoto 、Sakae TakahashiらとCentral Pacific Bankを設立した。
日系人初の上下両院議員 [編集]
その後は政界に進出し、1954年には準州であったハワイ議会の議員に当選した。1959年には民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員となる。
その後、1963年には上院議員となり(同じく第442連隊戦闘団員であったスパーク・マツナガも下院議員に当選する)、戦時補償法の制定などに尽力する傍ら、1973年にはウォータゲート事件と1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委委員長となり注目を浴びる。アメリカ軍の予算に大きな権限を持つ上院歳出委員会国防小委員会の民主党長老議員として、エリック・シンセキ大将の陸軍参謀総長就任に尽力している。
議員として [編集]
民主党の上院議員として上院歳出委員会の国防小委員会で上級委員を務める他、カリフォルニア州ロサンゼルスの日本人街リトル・トーキョーにある全米日系人博物館の理事長を務めるなど活躍を続けている。2000年(平成12年)6月21日に、陸軍殊勲十字章、青銅星章(英語版)の受賞理由が見直され、軍人に贈られる最高位の勲章である名誉勲章を受章したほか、2007年(平成19年)11月、フランス政府からレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を授与された。2010年(平成22年)の中間選挙にて民主党は上下院共に苦戦を強いられたが、再選を果たしている。
イノウエは、1980年代に、日米間の貿易摩擦が政治問題化した際には、リチャード・ゲッパート(英語版)などと共に、対日批判の急先鋒として立ち回ったが、近年は日本に対して融和的で、2007年(平成19年)には中華人民共和国や韓国が主張する「慰安婦強制連行説」に立脚するアメリカ合衆国下院121号決議については、大日本帝国軍人による慰安婦への暴行抑圧は疑いの余地はなく、日本政府の6人の首相と2つの衆議院決議が1994年以来問題を認め謝罪を行ってきたことを尊重するべきであるとして、対日外交の継続性の観点からあらたに謝罪を求めることに反対した。
なお1996年(平成8年)に前妻と死別し独身となっていたが、2008年(平成20年)1月29日に「全米日系人博物館」館長 アイリーン・ヒラノと再婚した。また、2008年アメリカ合衆国大統領選挙においては、ヒラリー・クリントン上院議員を支持していた。】以上ウィッキより
その日系人博物館には、ガーリックキングといわれたギルロイ生まれのジミーヒラサキさんの息子さん「マナビ」さんの記念のブースもある。Since its inception in 1985, the Japanese American National Museum has chronicled more than 130 years of Japanese American history—from the first Issei generation through the World War II incarceration to the present-day. In 1999, the National Museum established the Manabi and Sumi Hirasaki National Resource Center (HNRC) to ensure that the story of Japanese Americans remains accessible to everyone.