1988年ギルロイ市にてあいさつ | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

後日、市役所にて、ロベルタヒューワンギルロイ市長から、「ギルロイダウンタウン再開発プラン」の青写真設計図を見せてもらった。87年田子町に来町したおりに、オープンしたばかりのサンモール田子商店街も見学していったことと商工会青年部長という肩書きもあったので、商工会議所副会頭のデイブブシャード氏が市長に紹介していたようであった。
 規模地理的なものは違うが「開発によって活性化」ということは、国は違えども同じ悩みであることがわかった。ギルロイの場合は旧市役所の建物自体1907年設立ということで、それを核したデザインであった、ただメインストリートのモンタレーSTを通り過ぎている車を停車させるには、問題があった。そこで古い店舗を生かしパーキングスペースをもうけるためには、旧道は狭かった。その後やったことは駐車をできように一車線をつぶしカーブするようにし、車のスピードを抑えることも考えられていた。アメリカの問題は空き店舗になると、治安が悪くなり加速度的に街に寄り付かなくなり最終的に「悪の巣」状態になるという典型的な図式がある。
一方日本の典型的な田舎のことであるが、田子町も河川改修事業に伴って「新街区」を作ったこともあり、滞留するお客を取り込むには駐車スペースの問題であった。
我々がアメリカの生活に憧れていた時代は1950年代であったし、それから日本の高度成長が始まったことは、言うまでもないが、アメリカの典型的田舎街の問題はその50年代からの脱却であったかもしれなかった。


ギルロイ地元紙のインタビューで、テッド内田氏が対応してくれました。町長と議長に
田子のぐだめぎ(愚駄目技)田子のぐだめぎ(愚駄目技) 
ギルロイ地元紙のインタビューで、テッド内田氏が対応してくれました。町長と議長に
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ギルロイ市会議員のあいさつ
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日系人協会よりあいさつ 藤村議長のあいさつにテッド内田訳
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渡部町長のあいさつ    藤村議長のあいさつ
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渡部町長のあいさつ  テッド内田のあいさつ
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ヒューワンギルロイ市長のあいさつ
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昨年度1987年のガーリック女王 ジェニファーさん
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ギルロイ市長のあいさつ
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議長のあいさつ
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田子町からあいさつ
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ギルロイ市長のあいさつ
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