さて1987年5月のギルロイ訪問報告会の後、7月に役場職員3名がアメリカギルロイに行ってみたいということであったが、その後町長決済で役場職員研修費として1人に15万円の補助がでるということであった。
こっちは自費?民間のボランティアは関係無し?とすねたが。
これも町のためだという気持ちに切り替えたが・・・
日本の大手各旅行会社航空会社の航空料金が7月20日以降倍以上の金額設定で、一番高額の時期のアメリカ訪問となる。
1987年7月19日青森空港がオープンしたが、利用するにはアクセスに関して未定であったので、東北縦貫自動車道を使い、成田空港で車を駐車し、戻ってくるというルートが一番節約できる選択肢であった。
そこで、4人でいくとして見積もってみると、往復高速燃料込で一人7千円(当時)ぐらいか。成田空港からサンフランシスコ着ギルロイ市周辺観光(研修です)し、国内線SFからLAまで、ロスアンジェルス発成田着というスケジュールを組んだ。八戸の旅行会社が出した金額は15万5千円、レンタカーモーテル宿泊代食事代(1$150円当時計算)7万円ぐらいかかるとして、一人あたり約10日泊合計25万円ぐらいかかるだろうと予算をたてた。
役場職員が行くからには当然実績を残す研修にならないといけないということで相談し、農業関係畜産関係をさがした。頼る手掛かりはなかったので、86年の祭りのとき買っていたプログラムにあったギルロイガーリックフェスティバル実行委員会事務局長リチャードニコルズ様宛に訪問したい旨の手紙を送った。
訪問メンバーは田子町役場から熊谷課長、宝田主査、山崎主査の3人で、7月14日に事前勉強会をした。ここで日本人日系人でアメリカにて農業で成功している人とコンタクトをとり、今回そこへ訪問したいとのことでスケジュールを組んだ。
また1人あたりの旅行予算が25万円程になるということで、役場職員研修費1人15万円でるなか4万円を計12万円援助してもらうことになった。自己負担が半分になった。
7月22日(水)田子町朝7時に車にて成田に向け4人で出発、午後5時頃成田に着いた。20時30分発のノースウェスト航空028便サンフランシスコ行きに搭乗、同日午前SF着レンタカーを借りて連絡しておいた人に会うためフレズノへ。オークランド経由99号線を南下しフレズノへ、この日はフレズノタウンハウスモーテルに宿泊。
翌7月23日(木)この地で「巨峰」を育てている小向氏の農場を訪問した。青森県からわざわざということでご苦労なことです。と言われ話を聞いた。
それからフレズノからサリナス経由で行く途中でフリーウェイから見えるのは牛の大群であった。それが有名なハリスランチである。午後1時に紹介されたマネージャーに会うことになっていた。撮影禁止だったのでカットは無しだが、この牧場にはおよそ13万頭の牛が飼育されているとのこと、その後レストランにてステーキを食べる。それからギルロイ市内に入り、リーブスリーインに着いた。













