中華街がリトル東京の西10分ほどのところにあるが、日本の味、独自のラーメン屋の餃子もキッチンで手作りしていた。当時のニューオオタニホテルにつながって、松坂屋、本の紀伊国屋、カレーハウス、讃岐うどん店など出店していた。寿司の次はラーメン、カレー、吉野家の牛丼と次々アメリカに進出してきた80年代始めだった。
アメリカの商業界でいえばモール、ギャラリアとかいわれる50店以上の店をつなげた商業施設が郊外にオープンしたころであった。これはダウンタウンの再開発とフリーウェイの利便性をかねたことで集客しようとし、その後既存のデパートスーパーマーケットのお店は打撃をうけるようになるが、それが加速したのも一因であると思うのだが、ロスにて「ある事」が起こったのは1992年であった。

諸説あるが【韓国人店主らの多くはベトナム戦争の帰還兵だった。ベトナム戦争に参加した韓国人帰還兵に米国政府が移住許可を与えたため、70年代に韓国系移民が4倍も増えた。彼らは主に競合相手のいない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニック系を雇い、閉店すると店を厳重にガードし、そそくさと韓国人街へ帰るというスタイルで商売していた。黒人の間では「自分達を差別しながら商売する連中」というイメージが定着し、そうした黒人による日頃からの韓国系への鬱憤が、暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついたといわれている】以上ウィキペディアより
7月29日シンガポール航空13時45分発30日午後5時成田着、やまびこ41号はつかり9号にて三戸着した。





































