関西のテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」が9年目に入った。の番組をネットでみた。
この番組は地方?局には配信しないということらしいので青森岩手では視聴不可能。ネットで最近はすぐに削除されるので、みつけるのは容易ではないが、「必見の番組である」。
いわゆる大手といわれる局から配信されているのをスタンダードとして信じていた、ネットでじっくりみると、いかに日本全国に東京、この大手の流しているニュース等の不誠実なことがわかったきた。
某大臣の発言が明らかになったのは「仙台東北放送のニュースであった」ネットにアップされなかったとしたら、「なんで?」ということになったことは確かで。ウィキリークスではないが、ネットがテレビを食った。
また他の東京配信番組のくだらなさがわかるのは、「関西」の番組をネットでみてからである。
「関西」と「関東」の違いはどこから来るのか。
この疑問を最初に感じた人物がいる。今から418年前に豊臣秀吉から命令にて、陸奥南部三戸から南部信直公が出陣した。
文禄二年(1593)肥前名護屋(佐賀県唐津市鎮西町)に滞在していた時に八戸にいる娘に出した書状が残されている。国重要文化財「南部家文書」南部信直黒印状である。
「南部藩参考諸家系図」によると根城南部八戸政栄の子直栄に嫁いでいる千代子は南部信直の娘である。
この書状には、次のようなことが書かれている「古(いにしえ)昔はこうであった、こうしたものだ、しきたりはこうである、とかいっているものは、こちらでは通用しない・・・・(略)」「京上方ではこのようで、陸奥のやり方と違う・・・・など」
松橋 均著『古はかくの如しなどと言うものは』八戸伊吉書店にて発売中