八田与一 | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

毎日WEBより【八田与一技師:「台湾農業の恩人」…台南に記念公園
復元された八田与一技師の家の前でテープカットする馬英九総統(右から2番目)と森喜朗元首相(左から2番目)=台湾・台南市官田区嘉南村の八田与一記念公園で2011年5月8日、大谷麻由美撮影 【台南(台湾南部)大谷麻由美】日本統治時代の台湾南部で、アジア一の規模を誇った烏山頭(うさんとう)ダムなどのかんがい施設を建設した八田与一技師(1886~1942年)の功績をたたえる記念公園が8日、台南市官田区嘉南村のダム近くに完成した。式典には、馬英九総統や八田技師の故郷・石川県出身の森喜朗元首相ら日本の国会議員20人以上が駆け付けた。
記念公園は馬総統が日台関係重視の象徴として計画。2年がかりで完成した。土台だけ残っていた八田技師の住んでいた日本家屋を復元し、一帯を公園とした。
 馬総統は「不毛地帯を穀倉地に変えた八田技師の偉業をしのびたい。八田技師の物語と記念公園が新たな日本との懸け橋となる」と述べた。
 東日本大震災では、台湾からの義援金が8日までに約58億台湾ドル(約163億円)に上り、日台のつながりの深さが注目されている。森元首相は「日本を友人として大事にしている証し」と感謝した。
 八田技師は干ばつに悩む嘉南平野に1930年、10年がかりで烏山頭ダムと網の目の広がる給排水路のかんがい施設を建設。嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えた。八田技師は「台湾農業の恩人」と敬愛され、地元小学校の教科書でも紹介されている。】