
歴史的なことをからめると、織田信長の推し進めた楽市楽座により近江商人の全国展開がすすみ、その子分たる蒲生氏郷が伊勢や近江から商人を陸奥に連れてきたことにより盛岡南部藩の隆盛がなされたといえる。その地形的なこと、また人脈的のながれは現在でもつながっている。
北に住むものにとって、商人の「商い」は「南の方」から来るものであること、情報もまた「南の方」から来るものとして決して疑ってはいない。歴史的に南の方と北の方は持ちつ持たれつでやってきた。

・・・民主党の復興ビジョン検討チーム座長の直嶋正行元経済産業相は某番組で、大震災の復興計画について「将来の広域連合的なことも念頭に置いて考えないといけない。極端に言うと『東北州』につながる構想を提案できればと思っている」との意向を示した。被災地の市町村合併に関しても「必要だと思う」と述べた。・・・
と出てきた。どうしてこのような思いつきでの考え方しかできないのか。地元阪神ではそうなったのか????まったく
