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とあるが、南北戦争とはアメリカで1861年(文久元年)から1865年(慶応元年)にかけての内戦と勉強するが、その後の「武装解除」した兵器武器を買い付けて日本に送るとしたことについては、あまり語られていない。
慶応年に日本では「二人のミカド」が存在した。とされている。薩長の掲げた「錦の御旗」に関しては知られているが、同様に「なにか」がないと同盟なるものは出来ないはずであった。が仙台伊達藩を中心とした「ある構想」により東北を分断して戦いを勝ち抜こうとした。らしい。
しかし、アメリカの南北戦争を知っているのは当時スイスの領事館勤めで情報が手に入ったヘンリースネルであることは明白である。
ということは、武器商人としては「商売」になるように仕向けることが「日本の存在」が壊滅しようと関係のない外国人がいたことは確かなようだ。


会津藩主松平容保はヘンリースネルに「平松武兵衛」の名を与え、屋敷も提供している。また同盟軍の軍事顧問として軍事のアドバイザーの地位についた。このことで「アメリカの放出した兵器武器」の売り先がハッキリし、「ビッグビジネス」が生れた。
「アメリカでは北の軍が勝った」「最新の軍備であった」「北の日本もこの軍備により勝つだろう」とかの「おいしいこと」を、世界の情報を全く知らない、自分の地位保身御家存続だけの家老達に講釈したことは充分推測できる。

