領事 | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

露西亜領事とはいかなる人物か 

「異国情緒漂うエキゾチックな町並みを形作る洋風建築物の代表格と言えるのが、函館ハリストス正教会です。ハリストスはギリシア語のキリストの日本語読み。白壁と緑屋根の外観もさるこ とながら、美しい音色を奏でる鐘があることも有名で、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれています。

 初代ロシア領事に着任したゴシケヴィッチが初めて箱館を訪れた1858(安政5)年、当時は弥生小学校付近にあった称名寺(現在・船見町18)に仮領事館を置き、翌1859(安政6)年にロシア領事館の付属聖堂を新築。1861(文久元)年に来函した青年司祭ニコライが、この聖堂を拠点に日本で初めてギリシア正教を布教しました。1907(明治40)年に起きた大火で建物を焼失しましたが、1916(大正5)年にロシア風ビザンチン様式の聖堂として再建され、1983(昭和58)年に国の重要文化財に指定されました。

 レンガ造りの建物は壁を白色の漆喰塗仕上げにし、屋根は緑色の銅板を用いています。屋上には冠型をしたクーポラ(ドーム状の小塔)が6つあり、それぞれに十字架が添えてあります。正面玄関上にそびえる八角形の鐘塔に、現在取り付けられている鐘は5代目。平成8)年7月に環境庁長官から将来に残したい「日本の音風景100選」に認定されました。」・・・以上函館観光案内よりコピペ

「ゴシケヴィッチ 橘耕斎編『和魯通言比考 (Wa-Ro tsugen hiko)』安政4年 (1857)
 本書はロシアのペテルスブルグのアジア局で刊行された日本語とロシア語の辞書である。 イロハ順になっており、 日本語をカタカナと漢字で記し、 ロシア語訳をあげている。 ロシアでは数種の日本語辞書が印刷されているが、 日本では江戸時代を通じてロシア語辞書の刊行はない。 橘耕斎 (1820-1855) は元掛川藩の祐筆で、 35才の時共編者ゴシケヴィッチの手引きで日本を密出国し、 ロシアでアジア局の翻訳官に採用された。 ゴシケヴィッチは後に函館領事になっている。 」・・・京都外語大のHPより